この文章は、2025年6月発行の『いるよの話 クワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルの本が欲しくて作るの巻』から抜粋したものです。
なお、スクリーン上で読みやすくするために改行などの調節を加えています。
2025年5月現在、自分はクワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルを自認しており、そこに揺らぎはありません。
この言葉を使うのが妥当か? という意味で悩むことはあるけれど、「恋愛感情がピンとこない」や「性愛や恋愛での惹かれを誰にも感じない」という部分を疑う気持ちはありません。
ただ、クワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルという言葉を知って、自分はこれかもなあと思った初めの頃には「本当かなあ」という気持ちもありました。
自分の場合、この「本当かなあ」の出所の一つは、困り感の少なさにありました。
自分がこれらの言葉を知ったきっかけはジェンダー関連の授業でした。そして、そこで見聞きするセクシュアルマイノリティ当事者の声というのは、おおよそ困難や葛藤とともにあり、そうした人たちのことを思うと、(でも自分はこの人たちみたいに困ってないしなあ。本当にこの人たちのようなセクシュアルマイノリティなんだろうか)と思ったのでした。
もちろん、もちろん、当然のこととして、アロマンティックやアセクシュアルに限らずどのセクシュアルマイノリティ属性を持っている人だって、「困っていなければならない」ということは断じてありません(マイノリティがどのように権力や権利から遠ざけられているのかという構造を考えるうえでは、そのどこに困難があるかは無視できない部分ではありますが)。
それに、なにがどうしたところで、自分の「恋愛感情がピンとこない」、「性愛や恋愛での惹かれを誰にも感じない」というところは揺るがしようのない事実でした。
あともう一つは、「惹かれない」という定義が曖昧すぎて、(自分は特別だって思いたいからなんじゃないの?)と囁く声が自分のなかにありました。
自分は「特別な自分でありたい」という志向がかなり強いぞと自分に対して思っているので、だから「特別な自分」になりたくてクワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルという言葉に飛びついたのではないか、と疑う気持ちもありました。
でもやっぱり「恋愛感情がピンとこない」、「性愛や恋愛での惹かれを誰にも感じない」のはそうだよなと思うし、それと「特別になりたい」は別々に自分のなかにあるのだろう、と今では整理しています。
だから、というか、そして、というか、自分はこの「困っていなければならないなんてことはない」を自分に言い聞かせることで、そして「恋愛感情がピンとこない」や「性愛や恋愛での惹かれを誰にも感じない」という性質は何度考えても確かだよなということを思って、自分を説明するための言葉にクワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルを使っています。
他の理由で自認を迷ったことはほとんどないと思います。これは自分が性的指向や恋愛指向をほとんどカミングアウトしていないからかもしれませんが、たとえばAスペクトラムに対する無知や無理解からくる偏見として見かける「モテないから言い訳してるんじゃないの?」という言葉に対して(あっそういう風に理解するの?)という反応がまず来るのは、この言葉で「自分は自分の性的指向や恋愛指向を誤解しているのでは」とはならないからだよなと思います。
間違ってるのはそっちであってこっちじゃない。自分は確かにモテないけれど、Aスペクトラムは「だからなる」ものでもないし、ましてや「本当はAスペクトラムではないのに嘘を吐いている」とか「自分で自分を騙している」扱いするなんてふてえ野郎だ、と思います。
「恋愛しない人間なんているわけない」という言葉にも、「でも自分がこうしているからなあ」と思う程度には、Aスペクトラム的な自分の存在を確かなものと思っているようです。
とはいえ、これらはあくまで間接的に見聞きしたに過ぎないので、自分が直接そうした言葉をぶつけられたら、特に信頼している相手からであったりすればなおさら、そこに揺らぎが生じるのかもしれませんが、幸いなことにそうしたことはこれまで経験してきませんでした。
今の自分は、自分のことは自分できちんと整理できているし、どう名乗るかは自分で決めると思っています。
それに、クワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルという言葉を知らないときでも、自分のことはそれなりにわかっていた、とも思います。
でも同時に、「わからない」や「決めない」も一つの形としてあることを知っています。
恋愛指向も性的指向もみんなにそれぞれの形があるけれど、その形をはっきり自分でつかんでいないといけないということはないので、迷いながらでもみんな楽しく暮らしましょうね。
ウェブでの連載を始めてから、「自分もそうです」だけでなく「そうかもと思います」など揺らぎを含むメッセージをいただくことが何度かあったので、「揺らいだままでも(あなたがそれで困ってなければ)」OKだよね、ということを合わせて言いたかったのでした。