「Aスペクトラムである」ってどういうこと?

Dr.ギャップ
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公開:2025/6/1

この文章は、2025年6月発行の『いるよの話 クワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルの本が欲しくて作るの巻』から抜粋したものです。

なお、スクリーン上で読みやすくするために改行などの調節を加えています。


この文章で書こうとしているのはあくまで「自分の場合はこう」というだけの話なので、それぞれの属性の定義でもなければ傾向の話でもありません。

自分はAスペクトラム「ならでは」という捉え方をしている経験がほぼないし、だから自分がクワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルであることを正面から語ろうとするとどうにも難しいよなあと思っていたのですが、じゃあひっくり返して「自分はどうして自分をそうだと思ったのか」あたりの話ができるんじゃないかと思ったのがこの文章の発端です。

でもそれって【自分が「そう」じゃないかと気づいたとき】に書いたことでは? という気もするな。とりあえずいったん書き進めてみます。

自分にとって、自分がクワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルであるというのは、やっぱりどうしたって「恋愛や性愛が自分の内側にはない」という感覚に集約される気がします。

これらの言葉を知る前から「恋愛がピンとこない」という風に自分のことを捉えていたし、自分からすればそれで言いおせているように感じる──のですが、他の人からすると「それじゃわかんないよ!」なのかな、なのかも、と思ってこの文章を書いているのですが、どうでしょう。

人から恋愛絡みの話を聞けば「そうか」と思うし、物語に出てくる恋愛描写はある種の型として理解している(それは恋愛に限らず、学園ものだったらこうとか、ミステリだったらこうとか、他のジャンルでも同じような把握をしている部分がある)と思い、でも、自分のなかにはないものだな、とも思います。

で、これは前に書いたのですが、やっぱり自分にとっては「自分のなかにはない」が当たり前で、他人のなかにそれがあるかないかなんてわからないから、「ない」人もそれなりにいるんじゃないかと無意識下で思っていた気がします。

ディズニーランドの話ってそこらへんで見かけるけど、みんながみんな行ったことがあるとは限らないし、一生行かない人もいるよね、みたいな。そもそも人から恋愛の話を聞く機会もあんまりなかったしなあ。

だからこれをひっくり返すと、「恋愛感情がない人っているの!?」という人がいるのもそりゃそうか、と思います。

自分だって「恋愛ってそんなみんな身近なんだ!?」と思ったし、現実でもフィクションでも「恋愛中の人」や「恋愛をしていない状態の人」はしばしば見かけるけど、「恋愛が手元にない人」はほとんど見当たらないから。「自分がそうであるようにみんなもそうだとなんとなく思っていた」という点で同じ事は起こるよなと。

ただし、これは「恋愛をしない人なんていないでしょ」という発言が許容されるべきということではなく、自分がそれまで思ってもみなかったとしても、「そう」と言う人がいるならそれは一回受け止めるべきだと、自分ごととしても思います。

あと、クワロマンティックについては「恋愛感情か友情か判断できない」や「恋愛的魅力と他の魅力の区別がつかない」という説明の仕方を見かけることがありますが、自分の場合これは当てはまらないなと思っています(そもそもこうした説明の仕方は語の成立過程を振り返ると適当ではないのではという意見もあります。「次の本リスト」に挙げている中村香住さんの文章を参照してください)。

自分は友情のことは友情だと思っていて、それは恋愛ではないと思っているし、友情以外にも好意の感情や魅力や対象は自分のなかにあって、やっぱりそれらも恋愛ではないなと思っているので。

それらのことは「それ」とはっきりわかっているなかで、恋愛だけが「どれ?」となるのであって、「それ」と「どれ」がごちゃ混ぜになっているわけではない、という感覚です。

加えて、クワロマンティックに対する「恋愛感情か友情か判断できない」や「恋愛的魅力と他の魅力の区別がつかない」という言い方には「あなた自身が気づいていないだけで、あなたが感受している感情や魅力のなかに〝本来は〟恋愛に分類されるべきものがあるのだ」という気配を感じもするので、誰かにそう言われることを想像すると鼻に皺が寄るような気持ちがします。

もちろん、誰かが自分自身のありようをそう把握して説明することは否定しませんが、自分が誰かにそう紹介されるのは嫌だなという。

あるいは自分がクワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルであることを思い出すタイミングというのは、たとえば友人知人の恋愛話を聞くときで、特にそれがこちらからの意見を求めている(ように思われる)ときに意識します。

自分はあなたが予想する反応は返せないかもしれない、なぜならあなたとは景色の見方やその前提が違う可能性が高いから、と思うので。

だから、カミングアウト(というほど大袈裟なそれではなかったけれど)の一つは、恋の話をしてくれた友人に対してでした。おつきあいを始めたんだけど聞いてくれる? と聞かれて、もちろん聞くけれど自分は恋愛感情というものがピンとこないから的外れなことを言うかもしれない、それでもいいかなと聞き返しました。

あとは結婚の話を聞くときもそうかもしれません。(自分の恋愛指向や性的指向だけがその理由ではないですが、)自分は結婚することはないだろうなと思っているので、周りの人が結婚すると聞くとき、「先に」ではなくても「別のところに」行ってしまった感覚はなんとなくあって、そのさみしさを思うときに、自分のAスペクトラムな部分を思い出したりします。

自分にとってクワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルであるというのはこういう感覚です。

本当に、あらためて書き出してもとりとめがないなあと思います。本当にそれくらい当たり前で、自分のなかのどこを切り取ったらクワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルの部分なのかよくわからないので。

だからもし、クワロマンティック・アロマンティック・アセクシュアルの、そうである自分のここが気になるということがあれば、奥付にあるメールアドレスでも匿名の感想箱でもおたよりを送ってもらえるでしょうか。そうしてもらうことで自分も「人から見るとここがみんなと違うところなのかな」とわかるような気がするので。

@dr_gaap
短歌と読書と二次創作と旅行と美味しいものが好き。今はまっているのはツイステとオモコロと匿名ラジオです。短歌で楽しいことをするのが大好き。クワロマンティックでアロマンティックでアセクシュアルです。 感想などいただけたら嬉しいです。→wavebox.me/wave/94ufrrxytf5hliop