14歳は青みがかった重苦しいグレーだった。わたしはずっと混乱し、いつだって嘔吐の一歩寸前のような気分だった。学校も部活も保健室登校もフリースクールも思春期メンタルクリニックも拒絶し、カーテンを締め切った暗闇みたいな部屋でひたすら映画を見ていた時期があった。当時の私のとっての映画は親友、教科書、恋人、生き方の指南書だった。
漆黒のビロードみたいな髪と暗い目を持った女の子。それがウィノナの第一印象だった。あの子はわたしと同類かもしれない。ほとんど直感でそう思った。それもそうだ。彼女が演じていたのは自殺未遂を起こして精神病棟に入院した役どころだったから。ウィノナが演じていた役はこの世界になじめなかったり疎外されている役が多かった。フリーク、オタク、ゴス・ガール、変わり者…… 彼女の真っ黒で大きな目は、どんなに嬉しそうでもいつだって寂しそうだった。孤独とさみしさが神経質そうなひびきをもって波打っていた。 わたしは自分をウィノナに自己投影し、ウィノナを親友だと思うようになった。しかし私とウィノナは20歳はゆうに離れていて、彼女は「落ち目のセレブリティ」あるいは「おじさんたちがかつて恋をしたアイドル」だった。そして中学を卒業するころには、わたしのアイドルはアンナ・カリーナに変わった。
ウィノナがわたしにとって特別な女の子であったことを思い出したのはDJ Boringの”Winona”だった。ローファイ・ハウスと呼ばれるダンスミュージックで、90年代のディープ・ハウスを意識したような楽曲だが、そこにウィノナの1997年のインタビューがサンプリングされていた。
"It is difficult to... to be judged That... to be reviewed As a teenager i-i remember one A casting director that later became a producer Ahm... I was in the middle of doing a reading for her and she stops me And she said 'Listen... You are not pretty enough to be an actress. You have to find something else that you wanna do.'"
わたしはこのウィノナの喋りかた、少し神経質そうな喋り方がたまらなく好きだった。『ヘザーズ』『悲しみよ、こんにちは』『17歳のカルテ』『恋する人魚たち』を見返し、彼女の存在が世界から疎外されたような14歳の自分にとってどれだけ救いになったか、この曲を聴きながら思い出していた。
スキャンダルを起こしてしばらく表舞台から消えていたウィノナだったが、『ストレンジャー・シングス』に出演したことで、再フィーバーを起こした。彼女はもう奇妙な女の子ではない。でも彼女がこうしてきちんと脚光を浴びていることが私は嬉しい。それは友達が認められたような喜びに似ているかもしれない。ウィノナはわたしのことを知らない。けれど、ウィノナはいつまでも私の親友だ。彼女を見るたびに14歳の頃を思い出す。あの暗い混乱が渦巻いていた日々と、自分だけの親友のことを。