祖母が今年白寿を迎える。
永遠に生きているんじゃないかと思うほど元気だった祖母も、年齢には勝てず、最近は耳も遠くなり眠っている時間も増えた。ただ、増えたと言っても母から伝え聞いている限りの話であり、正確には増えたようだという方が正しい。
上京して10年近くたった。今までは実家に帰るのは1年に1回あれば良い方だった。帰省するのには気がのらなかった。流行り物は何もない田舎で、たまに会う友人とはいつも中学の思い出話で、いつまでも変わらない上下関係が存在し、誰かが帰ってくると夕方には街中が知っているような、そんな故郷を疎遠にした。調子に乗っていたのだ。
今年娘が4歳になった。最近は言葉も達者になってきて、この歳の子が好きになりそうなことを好きになって生きている。私が小学校に入学するまで、我が家は共働きだったので祖父と祖母が面倒を見てくれる時間が多かった。肺炎で教員を辞めた祖父は隙を見ては私を電車に乗せて市内へ連れて行き、城を見せてくれた。私はというと城なんかより噴水で泳ぐことが好きだったので、一緒に来てくれた祖母はいつも替えのブリーフを持参していた。帰りはいつもうなぎを食べて帰った。祖父はいつも二段のうなぎを食べさせてくれた。
足が悪くなってから祖父は急激に衰えていった。いつも鬼平犯科帳か暴れん坊将軍を見ていた。足が悪くなってからも祖母が横に寄り添って一緒に散歩していた。中学に入って祖父が亡くなった日、霊柩車に入れられる瞬間に祖母が祖父の顔をぐしゃぐしゃと撫でたのを今でも忘れていない。夫婦というのはこのように生きていくのだなと思った。
高校を卒業し、浪人した。大学を絞りすぎて全部落ちたので大学に行く選択肢すらなかった。浪人時代はそれはそれはつまらないもので、祖母と食べる3時のおやつだけが楽しみだった。祖母はゴーフルが好きだった。私がゴーフルの生クリームだけを先に舐める食べ方をすごく嫌っていた。近所のスーパーのみたらし団子も好きだった。祖母は私がみたらしを先に舐めて2度漬けするのをすごく嫌っていた。大学に合格した時、両親は出掛けていたので合格の瞬間は祖母しかいなかった。「良かったね」とめちゃくちゃ喜んでくれたのは忘れていない。関西の大学に行ったので実家からは離れることになった。前日、祖母が「寂しい」と泣いていたのは忘れていない。
大学に入ってからは実家に帰るのは1年に2回程度だった。祖母は元気だった。実家を出るときは必ず曲がり角で姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
社会人になってからは、念願の上京を果たして調子に乗っていたので全然帰らなかった。お盆は海に行っていたし、年末はスノボーに行っていた。調子に乗っていたのだ。久しぶりに実家に帰ると、祖母は杖をついていた。1年後、髪の毛は真っ白になっていた。そのまた翌年に帰るとテレビの音が異常に大きくなっていた。耳にかけるよく聞こえるBluetoothのイヤホンをプレゼントした。その翌年には両手でそれぞれ杖をついていた。目に見えて歳をとっていった。喪服を準備した。
ある年、ふるさと納税で良いお肉を実家に送った。両親に送ったのだがほとんど祖母が食べたと聞いて安心した。それから半年に一回くらい良いお肉を送ってあげている。「今回もばあちゃんがほとんど食べたわ」と母からLINEがくるのを楽しみにしている。
今度、白寿のお祝いをするので実家に帰る。私の愛すべき祖母の笑顔を見に。