場所に対する記憶にはいくつものパターンが存在する。例えば窓の外の景色が美しかったとか、出てきたラーメンのボリュームに驚いたとか、極端に寒くて震えが止まらなかったとか…しかしその記憶を尖鋭化させて忘れがたいものにするのは間違いなく「人」である。誰と何を経験し分かち合ったか、または「誰ひとりそこにいなかった」ということが人のかたちを纏うことによって強靭なものになる。それこそが記憶の本質だ。
もう一度思い返してみよう、さすれば忽ちあなたに残った強烈な記憶には間違いなく人が介在していることに気付かされるはずだ──恋人と一緒に見た東京タワーからの景色、友人と一緒に食べた二郎のラーメン、誰も伴わずひとりで行った不二洞の末恐ろしい寒さ。僕たちはきっと、どこかではなく、どこかにいた誰かのことを不器用な作法で覚えていくのだ。
そんな不器用さを通じていま思う──僕にとって桜台poolとは清水さんそのものだった。決して分つことはできない。訪れた殆どの人が「すごい場所だ」と仰る桜台poolを、僕は清水さんを通して強烈に補完してきた。天井の高い会場、梯子で上がると現れる使われていないPAブース、きちんと分煙されている訳ではないちょっと昭和風な喫煙スペース、僕には全く縁のないハーレー的なごついアメリカンなバイク、それらは桜台poolでありながら清水さんそのものだった。
SNSでポストを見かけたものの現実味がなく、桜台poolの綿引さんからメールを頂いてからようやく本当のことなのだと認識し始めた。そこからカイライバンチの映像をいくつか観た。桜台poolのフロアで異形のメカを操作する清水さんがそこにいた。そして僕はずっと考え続けている。僕は一体彼の何に触れてきて、何を記憶しているのだろうか、と。
dysfreesia + mihauとして3回桜台poolを使わせて頂いた。その3回とも大きな学びと反省の繰り返しだった。そして清水さんはいつもそこにいた。物静かで柔らかく、相談したことについて真剣に考え、誤魔化すことなく伝えてくださる人だった。戸惑っている時は戸惑っている顔を見せ、楽しそうな時は控えめではあるけど優しい笑顔を見せてくれた。周囲から自然と愛され信頼される堅実な人であったと思う。しかしそれだけでは知れなかった側面が映像に残っていた。まだ僕の知らない清水さんがたくさん存在した。もしかしたら僕は彼のことを何ひとつ知らなかったのかもしれない。
僕たちは大きな目標というものをあまり持たないバンドだが、数少ない目標のひとつはバンドのサウンドを桜台poolで完璧に鳴らせるようになることだった。清水さんと相談しながら共に突き詰めていきたかったが、彼は足早に立ち去ってしまった。掴めなかった未来だけがいま漠然と宙に浮いている。それをどうすれば良いのか、僕には全く分からない。
辛うじて、清水さんのいた会場のサウンドを基に作品を残すことはできた。『pool in the bottle EP』という作品になったそれを、僕はリリースしてからしばらくは複雑に捉えてきた。時の経過につれて感じ方は少しずつ変わっていき、そしていま全く別の観点が加わった。この録音の中には清水さんがいるのだ。しかしこのことも新しい複雑さをデザインしていった。音楽は再生されるが、再生されるのはそこにいた人ではない。
改めて気付かされたことがある。あの会場で鳴っていたサウンドもまた、清水さんそのものだったということだ。だからこそ清水さんがライブ後に「グロッケンの音はこうしたかった」と仰ってくださったことは大変光栄だった。僕たちのサウンドを進んで清水さんのサウンドそのものにしようとしてくれていたことが伝わってきたからだ。
あそこで鳴らされたサウンドは僕たちのサウンドではなかった。僕たちは何もしていないに等しい。全ては清水さんのおかげだった。僕はそこに音楽の不可思議さと美しさを、そして魔法を見出す。これまであそこで多くの人が魔法に触れてきたことだろう──しかし桜台poolほど「魔法」という言葉が似合わない会場もない。魔法という言葉が想起させる肉体的な熱とは異質の、インダストリアルでざらついた感触を持つ空間なのだから。でも間違いなくあれは魔法なのだ。インダストリアルな鉄は極度な熱も、その対極にある沈黙に近しい冷たさも引き受ける。鉄は情熱にも冷静にも真摯に向き合う。それこそ清水さんだった。そんな人にはなかなか出会えない。僕は幸運だった。
こうして文章を書いている今になってようやく、自分がひどく狼狽え動揺していることに気が付いてきた。あなたのことで悲しくなり、涙を堪えることになるとは思ってもみなかった。魔法は永遠には続かないのだ。しかしその感触を覚えている限り、魔法は完全に潰えることもないのだとも思う。だから、あなたは決して潰えることがないだろう。
清水郁雄さんのご冥福をお祈り申し上げます。