丸いメガネをかけた黒人男性がこちらを見ている。優しい目ではないが、厳しい目という訳でもない。少し挑発されているような気はするが、男は静かにこちらを見ている…彼は僕のことをまるでお見通しのようだ。でも全く嫌な気持ちはしない──そんな不思議な写真だった。なのだけれど、再びその写真を探してみたらなんとびっくり、そこに写っているアンソニー・ブラクストンはメガネをかけていなかった。普段の彼のイメージを僕は勝手にあの写真に投影していたのだった。人の記憶はやはりいい加減である。
とはいえ、その写真の鮮烈さは変わっていなかった。アンソニー・ブラクストンはやはりこちらを見つめている。「さて、君はこれからどうするんだ?」と語りかけられているように感じる。思い返せば…あの写真を見たときに僕は「ジャズ=おしゃれ」というクリシェにカタを付けたというか、前々から感じていた胡散臭さに火を付けて燃やしてしまったような気がする。そこからジャズという音楽はスタイルではなくアティチュードなのだと感じるようになった。ジャズとはパンクロックと同じで、考え続けることを諦めない、人に対してどう誠実さを保つのか、他人と共にどう世界を分かち合っていくか…そういうことを教えてくれる音楽だと強く思う。
あのアンソニー・ブラクストンの写真を撮った中平穂積さんが店長を務めていたお店で、そこには村上春樹がよく通っていて…みたいな情報を得るよりも先に僕はDUGにコーヒーを飲みに行っていた。理由はシンプルで「新宿でジャズを聴きながらコーヒー飲めるなんて最高じゃん」という、知性もへったくれもない浅はかな理由である。ジャズ→新宿→DUGというルートは確立されているところがあって、誰かしらからそれを聞いた僕はそんなにビクついたりすることもなくあのお店へ行ったのではないだろうか。

道沿いにシンプルな看板がある。見落としそうだけれど結構目立つ。ひっそりとしている入り口に続く階段から地下に降りると薄暗い空間が現れる。広くはないが人々は寛いでいる。過ごし方は様々で、カウンター越しに店員さんと話している人、友達と話している人、ぼけーっと音楽を聴いている人、本を読んでいる人、そんな感じ。仕事している…みたいな人はあまり見かけなかった。パソコンを開いている人もそうだし、スマホをずっと見ている人もあまりいなかったように思う。電波入りづらい…的なこともあったのかもしれないけど、街の喧騒からちょうど良く逃れる為にDUGに来る人が多かったのかもしれない。そんな人たちを中平さんが撮影した写真の中のジャズメンたちが見つめている。あのアンソニー・ブラクストンの写真もどこかにあったんだろうか…? よく見ていたのはモンクとエヴァンスの写真だった。
一時期新宿に勤めていたこともあって、今でもそうなんだけど、僕は新宿という街に愛情と思い入れがある。友達と遊ぶなら新宿になることが多かったのは、だいたいみんなの家からの真ん中で…と考えると新宿に行き着いたからだ。N極とS極の真ん中にある街。夕ごはんを食べた後にコーヒー飲みに行こうぜ、の選択肢のひとつとしてDUGは非常にグッドだった。ジャズを取り除いて / 美味しいコーヒーを飲むというシンプルな選択に絞ってみても、DUGはいつも候補に浮上してきた。あるあるだったのは、21時過ぎくらいから入れて23時くらいに解散…のその2時間を過ごすにあたって、らんぶるにするかDUGにするか、タバコ吸う人がいるならタイムスもありかな、西口方面ならピースも…みたいに考えること。あとは誰と行くか、どんな雰囲気かで考える感じ。DUGはその時間はバータイムなのでお酒飲む人だったら尚のことありかも。一方DUGに連れていくと過度にロマンチックに捉えられて誤解されそうだな…みたいな思惑からそこを避けることもしばしばあった、ってなると、DUGはそういうのを気にしなくて良い親しい友達と行くことが多かったように思う。らんぶるはコロナ以降に遅い時間の営業をしないことも増えてしまって、でもDUGに行く雰囲気でない時は結構困ってしまっていた昨今。
ビルの解体に伴ってDUGも閉店する…と聞いてすぐに連絡を取ったのは大学時代からの親友だった。彼と初めてDUGに行った時のことは全く覚えていないが、彼とはことあるごとにDUGに行ったし、◯◯に行きたいみたいなことを自分からはあまり言わない彼にして珍しく「DUG行こうよ」という発言は時折聞かれた。彼はタバコを吸って、一回止めて、また吸って…みたいなことを繰り返していた人だったが、どんな状態の彼でもDUGであればゆっくりできたからちょうど良かったのかもしれない。そして毎回大した話はしていなかったと思う。先日行った時には、彼はiPhoneの折りたたみのが出たら買っちゃうかもと言い、僕は今年iPhoneを新しくしたけど全然気分が上がらなかった…みたいなことしか話していない。余談だが僕たちはDUGを出てから『シラート』を観に行き、かなり強めのテンションで批判を繰り広げることになる。こういう会話をDUGで繰り広げたことも、かつて恐らく、あったことでしょうね。
どなたかが指摘されていて(それこそ村上春樹だったかもしれない)「確かに!」と思ったのは、DUGは大音量でジャズが流れているのに普通におしゃべりできるからすごい…ということだった。確かにそうなのだ。しっかりと密度のあるサウンドが店内に満ちているのに、無理して声のボリュームを上げたことはない。恐らく僕は誰しもが認める声が小さい人ランキング上位の人間なのだと思うが──ひとつ言っておきたいのだが、僕の声が小さいのではなく世の中の音が大き過ぎるのだ、というのが真実だと思う。とある素敵な人からそれを言われてから、僕は自分のことをそう認識するようになった──、それでもDUGにいる時に大声で話したことは一度もない。それはまるで、自分自身もそこに響く音楽の一部になったかのような美しい経験だった。
僕は果たしてDUGのブレンドをどれくらい飲んできたのだろう。一緒に行った人の延べ人数はどれくらいなのだろう。どれくらいの会話をそこで繰り広げたのだろう。どれくらいの音楽を耳にしてきたのだろう。もう全く以ってお手上げだ、想像が付かない。でも分かることもある。DUGで過ごした時間の全てが美しい瞬間の連続で、騒がしい日々の中でも静かに浮かび上がり僅かな光で輝く月にいるような経験だったということだ。
自分に影響を与えた音楽系の会場やお店を挙げるとすれば、六本木SuperDeluxe、リキッドルーム、ちょっと後だと渋谷Contact、そしてDUGになると思う。1/4しか残っていないことになるが、しかしDUGはきっとまた戻ってくるのだろうなあ…という確信。DIGからDUGへ…という変遷がかつてあったことを踏まえれば、この先にまた新しい何かがあることを期待してしまう。
先日音楽系の先輩とDUGの話になり、「DIG、DUGと来れば次のお店の名前はきっとDOGですね」「いやいやそれならCATだよ」という上手いんだか上手くないんだかよく分からない漫才を繰り広げてきた。「DUGの閉店」と「DUGが終わる」ということをイコールで結びつけていない人が多いのかもしれない。ということで、あのブレンドを再び口にする日を楽しみにしております。それまで、どうかお元気でお過ごしください。
