私には、四歳になる娘がいる。
彼女は最近、私のことを「お母さん」ではなく「ママ」と呼ぶようになった。
「あやのちゃんがお母さんのことママって呼んでて、いいなぁって思っちゃったの」
私は何なら彼女がもっと幼い時には自分のことをママと言っていたし、お母さんと呼ぶようになど一言も教えていない。
彼女が決めて、彼女が変えた。
保育園という小さな社会に順応するために、彼女は自分をチューニングしている。
服はピンクが女の子らしい、と誰に教わったのか。私も旦那も、「青や水色が好きな女の子がいても良いんじゃない?」と言いはするが、コンサバに寄るのも彼女の自由だろうと強く指導することはしない。彼女の自主性に任せている。
四歳児の彼女は、もう大人に意見ができる。私はこう思うから、こうが良いんじゃない?と言える。それが筋の通らない話や危険な話なら却下されるし、何故却下されたかは大人も順序立てて説明する。
親子とはいえ、そこにあるのは、説明責任のある大人に対する緊張感と、彼女を尊重したいという愛だ。
彼女は親が想像する以上に周囲を見ている。
自分がナメられていると思ったら、「どうせナメられているなら甘えちゃおう」と動く。
親が頼りないところを見せると、親の限界を察知して動く。
甘えて良い、そんなに急いで大人にならなくて良い。
私は時々、堪らなくなる。ぎゅう、と彼女を抱き締める。すると、にゃーん、と照れたように猫のマネをしながらぎゅっと抱き返してくる。
甘えるのは猫のすることだ、と言われている様だ。
あーあ、人間って、すぐ大人になってしまう。むしろこれほど幼い頃に、もう大人としての能力が部分的に決まってくるのかもしれない。特に、察知する能力、社会に順応する能力は、サル社会においてボス猿に殺されないように早めに身につくのかもしれない。
ふふふ、お母さんはね、サル社会だったらとっくに殺されてただろうけどね。
貴女には、ナイショの話。