もともとニヒリズムに陥りやすい性格なんだけど、就職してから絶望に囚われてしまった気がする。それまで持っていた目標をプログラマー就職という形で達成した結果、全く幸せにならなかった自分を知った。この経験から私が学んだのは、目標を持ったり成長や自己変革を望むのは不幸に繋がるということだった。
結局私に幸せをもたらしてくれるのは、散歩しながら銀杏並木がきらめいて見える瞬間や、眠っている猫を人差し指で撫でる触覚、次の日が休みの夜に遅くまで布団の中で本を読む時間、といった日常の断片なんだろう、と結論づけた。どうせ私は変わらないし、夢や目標は人を不健全な道に引き摺り込むものなので、何も望まず、何も叶えずに他力本願で生きていくことにしよう。そう思っていた。(ちょうどこの頃栗原康の本をまとめて読んでいたので影響も受けた)
いまはちょっと違う気持ちだ。本当にちょっとだけ。もしかしたら夢を叶えることって、日々の些細な幸せと同じくらい意味のあることなのかもしれない。何かを自分で望んで、自分で叶えること、その道程に身を置くことは、私は無意識のうちに日々の幸せな瞬間よりも価値のあるものだと思い込んでいた。だからプログラマーとして就職したらもっと素敵な人生が待っていて、自分を誇れるようになれるんじゃないかと期待し、現実とのギャップに失望していたのかもしれない。
目標を持ち、達成していくことがすばらしいと言う価値観があまりに蔓延しすぎていて、逆張りをしたくなってしまうんだな。私は人一倍その価値観に染まっているからこそ、達成した結果自分が望むように幸せではないことに傷つき、目標なんて意味ない、つまらない日常に美や幸福を見出すことだけが正義だと考えてしまっていた。今の結論は、どっちも同じくらいいいもの、くらいかな。