言葉の樹海に地図をつくる

ebi_yade
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言葉のオーナーシップと第二言語習得

言うまでもなく、言語能力は認知能力と強く結びついている。つまり、物事を上手に言語化できないことは、それ自体について実際よくわかっていないことの証左でもある。だからこそ「自分の言葉で話す」ことが重要になるし、自分はそういう意味で「言葉のオーナーシップ」という語彙を使っている。

言葉のオーナーシップを獲得する上で重要なのは、自分自身との会話である。自分はよく一人で散歩をしている間に、周りから怪しまれない程度にボソボソ呟きながら思考を整理している。

ところで、「第二言語習得」とは平たく言えば外国語の勉強のことであるが、この過程においては他人との会話の重要度が上がる。もっと言えば、その中で「他人の言葉を真似する」ことが重要みを帯びてくる、ということだ。

なお、学問としての第二言語習得は1967年の Pit Corder による論文 が起源とされており、学習者を取り巻く環境などの多様性を考慮するアプローチが近年のトレンドである。そのため、断定的な議論には注意されたい。

学習者である故の難しさ

ここまでを通して、外国語学習において「他人の言葉を真似する」ことの位置付けは共通認識として良さそうだが、一つ重要なことがある。「他人の言葉を真似する」ことに対して「自分の言葉で話す」ことは単純な二律背反の関係には収まらない。

たとえば、つい最近 GopherCon Singapore というイベントのためにシンガポールに行った際、何度か以下の質問を受けた。

Are you finding a job in Singapore?

シンプルな英文だし、本当に大した内容ではないが、自分は finding という語彙がしっくりこなくて looking for に置き換えて答えていた。しかし帰国後に思い返すと全部 finding と言われていた気がして「あ〜、これ自分の言葉を使おうとした結果、余計に変な英語喋ってたかもな」と思って ChatGPT と Grammarly で調べたら、なんと双方ともに looking for 推しだった。

もしかしたら、この例については、僕の英語レベルを察して極力簡単な単語を採用してくれた、というだけなのかもしれない。もしくは、シンガポール英語(Singlish)の特徴なのかもしれない。何はともあれ、コンテキストの持つ非常に多次元な情報によって選ばれる言葉は変わってくる。だからこそ、「他人の言葉を真似する」こと自体がそもそも単純な作業ではないのだ。

言葉の樹海に地図をつくる

そもそも母語話者であれ学習者であれ、自然言語を以て話すことは樹海の中で旅をするようなものだ。目的地が最初から決まっているときもあれば、そうでないときもある。目的地までのルートは、なおさら不確実だ。

ここで、母語話者と学習者の間にある最大の違いは、「後者はまともな地図を持っていない」ことに尽きる。世の中の地図は、別の地図と見比べると多少のズレがある。また、どれも常に多少の不正確さを含んでいる。一つ言えることがあるなら、旅の必需品であることに違いはない。

樹海において地図を作ることは膨大な時間を要するが、かといって他人の地図を丸ごと流用することもできない。読み方のルールが複雑すぎるからだ。もちろん、簡略化された地図を学校で授かったり、インターネットで見つけることはある。しかし、それだけで樹海を歩くのが不可能であることは想像に易い。

学習者は、素朴すぎる地図を片手に迷い込んでしまったことに甘んじて、偶然周りにいる詳しそうな人に道を尋ねることから始めるしかない。残念ながら、沢山恥ずかしい思いをして、少なからず迷惑を掛ける運命が待ち受けている。いつか自分の地図に誇りを持てる日が来ることを信じて____。

(何やねんこのポエム)

@ebi_yade
市川恭佑 Kyosuke ICHIKAWA