いぬがいる。かれこれ10年、いっしょに暮らしている。ずっといぬに憧れていて、いぬとの暮らしに焦がれつづけて、わたしにとってはとても長い年月が過ぎて、いぬはやっとこの家にやってきた。やってきてくれた。
いぬはとてもおとなしくて、吠えたり鳴いたりしないものだから、どこにいるかすぐにはわからない。でも、いぬが家にいないとすぐにわかる。いぬがいない家は、しいんとひえている。いぬがいる家には、どこかあたたかいような、それでいて泣きたくなるほどなつかしいような、どうしようもなくやさしいいぬ一匹分の気配が満ちている。
いぬがふとんに寝転がっているので、わたしもまねして寝転がって、おたがいに背中と背中をくっつけあっている。いぬと触れ合っているせなかの一部分が、そこだけとてつもなくやさしい熱源にふれていることをしめすように、じいんとあたたかい。ぷう、といぬがなぜかためいきをつく。いぬは心臓に持病があるので、ことん、こととん、と不規則な鼓動をさせている。ふとん越しに、いぬの心拍がきこえてくる。ことん、こととん、ことと、ことん、ことととん。そんなにいそがなくていいよ、とわたしは言う。いぬはまたなぜか、ふすん、とためいきをつく。
いぬはもうあまり歩かない。あんなにさんぽがだいすきだったのに、お気に入りの公園に連れていっても、いっぽ、にほ、さんぽ、でおわり。冗談ではなく、ほんとうに。持ってきたブランケットを敷いてやって、いぬといっしょにベンチに座る。もこもこの洋服を着て日差しに目を細めるいぬの隣で、わたしは本を読む。しあわせだ。いぬはじいっと座っている。まぶしそうに、うれしげに目を細めている。わたしはこのうえなく、しあわせだ。
いぬがいる。かれこれ10年、いっしょに暮らしている。このさきのことを考えると、どうしたらいいのかわからないくらいくるしくなる、ときもある。不規則な鼓動を鳴らして生きている、おとなしくてやさしい、ちっとも吠えない静かないぬ。いつかすべては過去形になってしまうのだけれど、それはどうしたって変えられない事実なのだけれど、だから、だからこそ。いぬにもらっているしあわせを、いぬ一匹分の器ではあふれかえってしまうこのしあわせを、できるだけたくさんいぬに分け与えられたらいいとおもう。走るのはにがてなくせに、いぬは、すこしだけ他の犬よりも駆け足で生きているようだから。
手始めに、だいすきだよ、と言ってみる。せなかの熱源がもぞりとうごく、気配がする。おとなしいいぬは、やっぱりこんなときでも返事をしない。だいすきだよ、うちにきてくれてありがとうね、むりしなくていいけど、でも、やっぱり、ちょっとむりしてでも、ながいきしてね、おねがい。
いぬがぷすうとためいきをついた。充分すぎるほどの返事で、わたしはこっそりすこしだけ泣いた。