ぼくらの青春は、視聴覚室からはじまった。

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視聴覚室の窓から西日が差していた。蝉の声はクマゼミからひぐらしへと変わっている。

高校1年生の僕は、へたくそなギターを弾きながら熱唱していた。

隣の部室からは、トランペットのソロパートのフレーズが延々と繰り返し流れていて、外では軟式テニスの連中が互いに攻勢を掛け合っている。

視聴覚室はとにかく暑かった。冷房なんて効いちゃいない。僕はとにかくGOINGSTEADY(ゴイステ)の峯田クンになりたかった。B-DASHのGONGONになりたかった。もしくはハイスタの難波クンになりたかった。

僕らの所属するフォークソング部は、エレキギター、エレキベース使用禁止で、基本的にはその名の通り“アコースティックなサウンドのみ”を追求するある意味ストイックな部活であった。

しかし、10代といえば「歪み」まっさかり。歪みと音量の回路を限界突破させて、音をぶっ壊す状態を指すのだが、アコースティックギター(アコギ)に歪みの機能はついていない。

ゴイステだの、ハイスタだの、ガガガSPだの空前の歪み・メロコアブーム(※メロディックハードコアっつーキャッチなーメロディに激しいビートや歪みがのっかった音楽)の洗礼を受けていた僕らは当然、アコギではその欲求を満たすことは到底できなかった。

なので、部活後とか、部活がない日に高校から3駅市内方面に向かった駅にとある音楽スタジオに集まって、「歪み」を爆発させていた。

ギター、ベース、ドラムが三味一体となり「俺たちはできる」と叫んだ湘北バスケ部赤木キャプテンや、「カカロット、お前がナンバーワンだ」と言ったベジータのように僕たちは自己肯定感を爆上げしながらB-DASHの「Race problem」をスタジオで演奏していた。

当時はとにかく無我夢中でまわりの音なんか聴かずに、がむしゃらに弾いていてとても聴ける演奏ではなかったはずだ。ただ、ひたすらに楽しかった。全宇宙で自分らが一番かっこいいバンドだと本気で思っていた。

2時間のスタジオは体感2分くらいで終わった。アインシュタインの相対性理論はマジであるらしい。

夏のスタジオは暑い。もちろん外も暑い。スタジオ終わりで飲む、ビタミン炭酸MATCHは格別においしかった。スタジオの外でみんなとだべって帰るころにはヒグラシの歓声は既にやんでおり、僕はMATCHを飲み終えた。入道雲はどこかになりをひそめ、空が赤く染まっていた。

@editor
とあるweb編集者(editor)です。日常で「心が動いた瞬間」「あの頃」をテーマにつらつらと書き綴っています(気まぐれで全然別のテーマでも書きます)。読者登録してくれたら泣いて喜びます。