良い作品を書くためには良いアウトプットがたくさん必要だとよく言われる。
勉強のために映画を観ていても、ダメージを受ける人と受けない人がいる。
例えば、昔の映画を観ているとよく女性やゲイやアジア人等に対して差別的な描写に遭遇する。そのたびに、こっちはダメージを受けてしまうのだ。
作者の意図や演出、脚本を分析したいだけなのに全然それとは関係のない箇所で、作者が意図的に視聴者を傷つける意思もないシーンで傷つけられるのだ。それがクィアの、女性の、よくある視聴体験だといえる。
もう一度言うが、良いアウトプットは良いインプットから生まれるとよく言われる。
つまり、マジョリティに生まれたら、インプットで(意図的でないシーンにおいて)傷つくことはほぼないといえるのに、マイノリティだったらボロボロになりながらインプットする羽目になるのだ。