どこかで書き残しておきたいなと考えていたので、特に使い道も考えずに衝動的に始めたここで書いておく。楽しい話ではないけれど、それほど見る人もいないだろうからまあいいや。
さて、数年前乳癌になった。見つかったという感じではない。その時点ですでに数年仕事をしていない無職既婚女性で、毎年送られてくる家族健診のお知らせもスルーしつづけていた。病院が嫌いだとか怖いとかいった感情があったわけでもなく、ただひたすら面倒くさかった。忙しかった時期の余波が続いていたのかもしれない。
乳癌というのは潜伏期間が長いのだと医師は言った。発覚する半年も前にちょっとした自覚症状はあったのだが、生来のいい加減さでさほど深刻に考えず、結果再び似たような症状が出てやっと専門外来で検査をした際に受け持ちとなったのが、後に担当医になるその女性医師だった。
慣れているのかさくさくとさらなる検査の手続きは進み、ぼんやりとしか事態を理解していなかったわたしは、その場を辞すという時になってようやく「念のためなんですが、これって癌ってことなんですかね」と尋ねた。彼女は「そうですね、癌です」と答えた。結構さっぱり言うんだなと思ったけれど、この人のこういうさっぱりしたところにその後もかなり助けられたので運が良かったと思っている。
頭に浮かんだのは、これを夫にどうやって話すか、ということだった。幸いと言って良いのか、わたしは血縁に薄く、子供もおらず、身内と言えば夫とその家族くらいのものだった。LINEで送ったメッセージでなんとなくは察したようだが、予想通りわたしより夫のほうがショックを受けていた。
翌週には大学病院で検査をして、その次の週には夫とともに医師から治療計画を聞き、さらにその次の週には治療が始まっていた。おそるべきスピード感だった。
先に書いた通りで乳癌の潜伏期間は長く、10年ほども体の中でじっとその時を待っていたのに、現代医療にかかると瞬く間に調べ上げられ、癌のタイプやら何やら分類され、先々の可能性まで対策される。癌と一口に言っても人によって全く対策が異なるらしく、他人の体験はほとんど当てにならない。でも、医師がチームになって情報を共有し、個別に対策をしてくれる。これが「標準治療」で保険が効くというのだから本当にすごいものだ。
およそ半年間、いくつかの治療法を施してから手術をした。切ってみたら想像より広がっていたのでできるだけ取り除いたけど傷跡は結構きれいでしょ、ほんときれいな傷口、などと医師と患者で軽口を叩きあうほどの信頼関係はすでにあった。そのあとさらに予防のために治療をし、今は別の薬を服用し、定期的な検査ももちろんしていて、それがあと6年ほど続く。治療の最初に医師から、「長い付き合いになりますよ」と言われていた通りになっている。
つまり、この体の中にはまだ癌の種が残っているのかもしれない。体の持ち主が忘れた頃になって顔を出してやろうと、その時をひっそり待ち構えているのかも。確率はあまり高くないのかもしれないが、完全に消えてしまっている可能性ももちろんないわけではない。
それでも、わたしは治療を続ける。これを言うとぎょっとされるだろうから表立ってはほとんど言わないけれど、人間はいつか死ぬし、それを恐れてはいない。でも、今すぐに家族を悲しませるのは不本意だ。だからまだ死ぬわけにはいかない。幸運なことにわたしはまだ生きているのだから、できるだけ楽しいことを考えて生きてやろうと思っている。
こう言っちゃなんだけど、死が身近になったことで、ボーナスステージを生きてる感があるんだ。