物を減らす人生

みずたま
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ものぐさな人生の末に癌を患いましたというのは前回書いた。今回は、癌で人生が変わりましたという回にしようと思う。

子供の頃から自分自身にもその傾向は多少なりともあったのだが、確実に影響があっただろうと言えるのは実の母親の性質で、この人が病的な(と形容してよいかはわからないが、重度の、と言い換えても良いかもしれない)きれい好きであった。さほど大きな家でもなく、昔ながらの日本家屋だったので物置もさして広くなく、それを考えると驚くほど物のない家だった。

今で言うミニマリストなどとは性質が違う。母はとにかく片っ端から物を減らしていく人で、実際に勝手に捨てるようなことはなかったが、彼女がいらないと判断すれば我が家ではいらないものとして捨てられる運命にあった。捨ててもらっては困ると思うのであれば自分で捨てられないように整頓して管理するしかなく、子供にはなかなかしんどいことだった。

そんな環境で育ってきれい好きになったのか。答えは否である。残念ながら、掃除が大好きと思えるほどのきれい好きにはならなかった。大人になってからもただ仕事と生活に追われて散らかっていたし、休みの日にまとめてどうにかするところまで行けば御の字といった生活をしていた。

ここで最初に戻る。癌を患ったことにより、物を増やして散らかす人生は一変した。今わたしが死んだら夫が気の毒すぎると思った。生前整理は早めにやっておくに越したことはない。

それ以来、買い物をする時は常に収納のことを考える。これを買ったらどこに置くか、それを置くには何をどう片付けるか、その結果何を捨てるか等々。これ、どうやら自分には向いていたらしい。楽しい。おかげで部屋が広くなった。夫も喜んではいる。

ただ、夫は放っておくと物が増えていく上に捨てられないタイプで、わたしが嬉々として物を片付けていく一方で確実に新しいものを買おうとする。そこでようやく母が父に対して抱いていたであろう気持ちがすんなり理解できるようになった。おそらく彼女は隙あらば捨てたかったのだ。ただ、自分のものならともかく、家族のものを問答無用に捨てるところまではできず、その代わりに口やかましく片付けをさせようとした。

時折、自分の中にその血が流れていることを感じる。あの極度のきれい好きの血が体の中で荒ぶる時がある。何か言いたくて仕方がなくなるし、捨てたくてたまらなくなる。他人のものを勝手に捨てられない以上、これは自分との戦いである。いかに夫の物のエリアを捻出するか、パズルのように考える毎日を生きている。それも結構楽しんでいるじゃない、と母の声が聞こえるような気がする。

@eerii
ひきこもりの主婦。Official髭男dismとサッカー(主にJリーグ)のファン。自宅のベランダで植物を育てている。