まだ見ぬ友だちに向けてのポッドキャストが、孤立を深める

eisub
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「映画やゲームや漫画の話を、どう面白かったか、楽しかったかを、人と話したい」というのが、私がポッドキャストをやってる根源的な理由なのではないかと考えている。

ただ、現実生活においては、そんな暇を持っている友だちはいない。

自分ですら、「やりたくないがやらなければいけないこと」に忙殺され、細切れで触れられるものを触れている。わたしが住んでいる場所はカルチャー不毛の地。そんなことよりも、車、女、農業、野球の話のほうが重要なのだ。優先度は自分の興味で占められ、ひとの好きなものに気を遣う余裕もないのは、自分の状況から想像がつく。(努力して、車と野球とスナックを好きになろうとしたことはある。が、その挫折はまた別の話)

友だちがいない代償行為として、ひとりでポッドキャストをしてる。こうして独り言をインターネットに放流すれば、どこかの、誰かに、届いてるようなので、ちょっとは気が晴れる。

ほんとうは、誰か相方がいればいいのに、と思うが、平日の昼間しか収録時間がないのも災いして、ひとりで収録する他ない。

と、思い込んでいる。

どうにか出来るのかもしれないが、どうにかする算段すら見えない。見ようとしてないのかもしれない。

営農とサブカル、というひとり喋りのポッドキャストは、なんとなく自分を規定する呪いのようものになってきてるのかもしれない。ひとりで、誰かに向けて、喋ることで、そもそもひとと関わる状況や必要性を排除してるのかもしれない。

それで良いのだ、それしかないのだ、と考えてどうにかなる日もあるけれど。ときどき、仲間も持たずに、今までもこれからもひとりか、と思う日もある。

@eisub
ポッドキャストをやってます。