「こちらあみ子」という映画を観た。
ぼんやりとした評判と、予告編を観たことをきっかけに鑑賞し、とてももやもやした気分になり、一晩明けて、どんよりとした気分になる。優しいひとほど打ちのめされ、子どもが子どもで居続けることで周囲を苦しめていく、そんなような受け取り方をしてしまう映画だった。
この映画は、あみ子、という女の子の目を通して、彼女を取り巻く環境を眺めていく。作中では、はっきりとしたことは言われないものの、あみ子はいわゆる「ふつうの子」ではない。たぶん、精神科に受診したら、何かしらの診断名がついてしまうような女の子だ。
小学生の頃は、ハーフパンツで野山を駆けずり回るおかげで足にはあざがいっぱいつき、どこにいくにもサンダルであるき回っている。お母さんがやっている書道教室に通っている「のりちゃん」という男の子がだいすきで、いつも「のりちゃん」につきまとっている。ただ、のりちゃんは自分のお母さんから、あみこはへんなこだから面倒みてあげて、と言われているだけで、内心では、あみ子のことを持て余しているが、そのことをあみ子が理解するのはずっとあとのことになる。
あみ子には、お父さんとお兄ちゃんがいる。そして、(たぶん)血の繋がっていない、お母さんがいる。物語は、このお母さんが、妊娠しているところからはじまる。もう少しで弟が生まれ、おねえちゃんになることを待ち遠しく思っているあみ子だったが、出産はうまく行かず、あかちゃんは生まれることなく死んでしまう。
あみ子なりの弔いか、お母さんを元気づけようとしたのか、あみ子が「生まれてくるはずだった弟のお墓」を庭に作ったのをきっかけに、お母さんが壊れてしまう。うつ状態になり、なにもできなくなって、家の中が荒れる。あみ子に優しくしていたお兄ちゃんも、不良の仲間のもとに入り浸るようになり、家を出ていってしまう。お父さんは変わらないものの、ずっと押し黙って怒るようになり、あみ子は誰にも相手にされず、放置されていく。
そこからの展開は、あみ子の目線でところどころファンタジックなシーンが挟まるものの、放置されている女の子の話になり、親として見ているのがつらくなる。
お母さんはずっと良くならず、ついには入院することになる。お兄ちゃんは家に帰らず、学校も退学したと噂される。あみ子は中学生になり、小学生の頃よりも、より異物として扱われていく。お父さんはお母さんで手一杯で、あみ子を持て余し、果ては、あみ子をおばあちゃんの家に独りだけ置いていったりする。
映画をみながら、お母さんもお兄ちゃんもお父さんも、もともとは優しい人だ、というのが十分わかる。ただ、その優しい人にも限界があって、あみ子があみ子のままでいることに、耐えられなくなっていく。家族はどうしたら良かったのか、一晩明けてもやもや考えてしまう。
早いうちに、どこか医療や福祉の手を入れていたら、と思うが、それがお母さんが壊れてしまったあとでお父さんが出来ただろうか。自分があのなかの誰かだったら、何ができるだろうか。私はあのお父さんのことを何一つ責められない振る舞いしかできないんじゃないだろうか。
映画は、あみ子があみ子なりの成長をしたところで終わる。一応、ちょっと救いを感じるような終わりをする。けれど、家族は壊れたままで、あのあと、どうなったんだろうか。
続きを知れないでホッとする映画もなかなかないな、と思った。