とても変な映画だし、アニメだったなという印象が残る。
ただ、嫌いになれないのは、生活に対するディテールの細かさ。モビルスーツにはトイレがある。宇宙服は股下までジッパーが降りるので任務中のトイレも問題ない。宇宙線対策のクリームは欠かさず塗る。宇宙で落ちる体力のためにランニングをする。それと、女子たちは時間帯によってはスキンケアを艦内で行う。とても可愛い。私はステアさんが暇な時間に艦橋でスキンケアしてるのが好きです。まわりはおっさんだらけだけど、自分のためにやるんだよ、という感じが。
本作が変なのは、コミュニケーションの齟齬がそこら中で発生しているからだ。いちばん近いのはアンジャッシュのコントみたい。思惑をそれぞれ抱えた集団が事前の話し合いでは仲間のように振る舞っていたのに裏切って戦争をはじめたり、惚れたはれたの痴情のもつれから勝手に動いてしまう。
ミノフスキー粒子という、一年戦争当時では人型二足歩行機械を戦場に出すだけの舞台装置は、通信の途絶、コミュニケーションを途絶させるものとして機能していく。
ひとは千年経っても革新しないし、みんな揃って自分の都合で相手を解釈するし、分かり合える訳もない。というとても突き放した人類観が根底にあるように思う。ただ、そのなかで、ひとは恋をするし、セックスもする。マスク大佐はもっと元カノに優しくしたほうがいいと思いますし、今カノが不安にならないように説得したほうが良いと思います。シャアだったら(ネオジオン総帥)もっと上手くやったろうね。ミックジャックとクリムもエロい匂わせが良くて、ヤッたな!って感じがするのが良いです。
そう、あんな状況でも、セックスをひとはしちゃう。それが生々しくておもしろくて悲しい。可愛い年下の彼氏を失ったあのひとは色恋沙汰で艦隊を沈めちゃうし、業が深い。けど、こんなしょうもないものに大義名分や理想が振り回されるのが痛快でもある。
ただ、話がわかりづらいのは、複数の集団の複数の思惑が絶え間なく変化し続けてること。
とくに、初出のような言葉や団体もたくさん出てくるので、名前を覚えるのが苦手な私はとても困ってしまった。どっかウェブで劇場版ごとのそれぞれの思惑を図解してくれないだろうか、と観ながら思っていた。
また、お話自体が貴種流離譚なので、持っている側の若者の話になってしまう。マスクさん、ラストバトルはもうちょっと私怨以外の理由で戦ってほしかったな、じゃないと可哀想で。今カノと楽しくキャンプしてたからいいか。
せいぜいできるのは、ガンダムにのれてた一時期のことで、あとはみんな大人になってね、という促しも良いなと思う。
が、それができる子どもたちは日本にどれだけいるのか、暗澹とした気分になる。ベルリは結局、持ってる側の人間なのでモラトリアムがある。けど、他の子たちはどうなんだろうか。クンタラのダンス女子たちは玉の輿以外にやりたいことをやれたりしないんだろうか。
さいきん、鉄血のオルフェンズを観てるけど、こちらのほうが今の子にささるじゃないかなと感じている。やな時代ですね。