ポッドキャストをやっていると定期的に「変なひと」と呼ばれることがある。ポッドキャストウィークエンドで「もっと変なひとかと思ってました」と5人に言われたら、果たして聴いてるひとのどのくらいがそんなように思っているのだろうか。怖くて確認ができない。
先日も、CrossPodというポッドキャストを紹介するニッポン放送のラジオ番組で紹介された際に「変なひと」という単語のもと紹介を受ける。内容自体はとても好意的に、励みになるようなことを言われていて嬉しかったのだけど、これがじわじわと効いて、日常生活に陰をちょっとだけ落としている。
客観的に見れば、虚空に向かって長時間喋り続けるという行為は狂人の振る舞いなので、変な人、というのは間違っていないのだけど。個性的とか、面白い、とか、ユニークとか、ではなく、変な人、という表現なのは「自分とは隔絶した、異質な」という否定的なニュアンスを含んでいる。
私のポッドキャストが単発なら面白い、と思われることはあるけれど聴き続けたいかと言われると怪しい、というままでいるのは、この「変な人」と言われるような振る舞いに起因してるのではないかと思う。30代はこれを言われるのは良いことだと思っていたが、最近は、とても怖いことだと感じている。
なにせ、私は、どうして「変な人」という表現をされてしまうのか、わかっていないからだ。どこか有名なポッドキャスト配信者や、有名人が私を「変なひと」と呼んで、それをみんな真似してる、というならわかりやすいのだけど、関わりがないような人々がみんなそういうので、たぶん、実感としてそう感じるのだと思う。
なんとなく、社交性のなさや、奇妙なポッドキャストへのこだわり、ゲスト出演時の下手さなどがそう言われる原因のように思うのだけど、それはあくまで表層的なことだ。
根本的な原因は、私が人と関わるようなポッドキャストをしていないから、な気がしている。コメントをしづらいのも、推しにくいのも、話をしながら、すべて遠ざけるような、そんな振る舞いを常日頃からしているからではないか。
そんなことをぐるぐる考えて答えがでない。単純に、やってることが時代にあっておらず、多くの人にとって面白くないからだ、という点には目を瞑る。