孤独と交流のバランス

eisub
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と、おもってはいるけれど、Twitterの反応を見ようとしてしまう。そして、やっぱり、そちらで粗雑になんか書こうとしてしまう。

丁寧に、とは言わないまでも、何をどう書くかを人の反応に振り回されないようにする必要があらぁなぁ、と思っている。

孤独と交流のバランスを取りたい、と常々思っているのだけど、とても難しく、まだ慣れないでいる。

ここ最近、配信をつくっていても思うのだけど、自分自身が孤独に行こうとするあまり、人が理解できないことを喋っているのではないか、と不安が頭をよぎる。

交流をすると、多少は人間の言葉が喋れているのだ、と安心をするのだけど、そちらに寄るとおもねってしまう。基本的に、人語を理解しないでそれらしい言葉を真似して話す妖怪のような存在なので過剰適応の結果、もともとの人格を忘れちゃうみたいなことが起きがちだ。つい、いいねやコメントを欲してしまう。

それが嫌で孤独に行こうとするのだけど、今度は、孤独の過剰適応の結果、誰にも伝わらない言語と思考を生み出して、それを話している気もしている。

事実、期待されているものを最近は出せておらず、己の思うまま、違う方向に進んだ結果、だれもよく分からなくなってるんじゃないだろうか。

そんな状態で、話して編集してとやっている。以前より三割くらい、いろいろと腕が上がってきてる感じはするのだけど。これは、私の実感だけで、外の評価はどうなっているのだろうか。

なんとなく下手なうちは珍獣として重宝されてたけど、いまはちょっとこなれた結果、ふつーになってしまった雑な獣として見られてるんだろうか。

悩んでもしょうがないことを考えながら、今日も、たぶん望まれていなさそうなレジュメを書く。

@eisub
ポッドキャストをやってます。