正月休みを延長することになった。
また熱が出てるので、とても楽しい気分で休めている訳ではない。
微熱と高熱を行ったり来たりするので前になった時にも感じた「これ、ほんとうに治る」という不安を感じる。
わたしにとって、いちばん恐ろしいことは、自分で生きていけなったのに死ねないこと、だ。働けない、歩けない、何も出来ない、みたいな状態になって生きるのが恐ろしい。死ねるなら、自分で死ぬようにしたいと考えてる。
これは変形した希死念慮。たまたまなにかやれていて、ほかのひとに生きてるに値すると思われてると思ってるから死んでないだけだ。必要とあらば死ぬことも手段にいれるというセルフネグレクトみたいなもの。これは、20歳のときに後天的に身につけたものだ。
あんまり褒められたものでないのは分かってるけど、そうすることで、仕事や状況について何も選べなかったことをやり過ごす術として頭のなかの考えに載せた。
いまでも、これはずっと働き続けていて、自分の人生を良くする、という考えの前に、自分が社会や家族や地域に何をなせるか、を考えるように仕向けている。
ほかの経営者と話が合わない主因はこれだろうな、と働きながらよく思う。普通に考えたらしないような儲からない手段を、私は取りがちだし、ボランティアをしがちだ。経営者に向いていない。
ちなみに、ボランティアも、体力も根性もないのにやるので、感謝よりも失望の方が多い。なので、さいきんは、どうにも出来ないとはなから諦めて、いろいろなところと距離をおく努力をしている。
この働き方、生き方をしてきた結果、たくさんのひとを恨み、憎むことになったのがこの歳になってからとても困っている。
私には、こうなりたいという夢も希望も欲もない。かわりに、いつもなにか怒っていて、その怒っている対象を自爆攻撃でどうにか片づけようとしてしまう。
どんな状況でも、生きようとする希望のようなものを持たないとならない。それが、なんにも浮かばないのでぐるぐる考え続けることになる。
はっきりしてるのは、もう寝たほうがいいということだけだ。