人生で初めて文楽を観た。
歌舞伎にしても、文楽にしても観に行く前は「敷居が高い」というイメージだったけれども、いざ観に行ってしまえばそんなことはない。
文楽も、とても楽しかった。歌舞伎同様に、「また観たい」と思えた。今日観たのは、第一部の「二人三番叟」と「仮名手本忠臣蔵」の2演目。
三番叟は先月の歌舞伎でも観た演目。歌舞伎は「五人三番叟」だけれどこちらは「二人三番叟」。やっぱり、先に歌舞伎で観ていた上に歌舞伎の時にイヤホンガイドでどういった演目なのか、歴史的にどんな背景があるのか、を聞いていたせいかすんなりと世界観に入れた。良い悪いではなく、多少なりとも事前知識があるとより一層観易くなるジャンルなんだな、と感じた。
文楽の三番叟は、全体的に何とも言えず可愛い。歌舞伎は、まあ、1月の公演だったこともあるけれど清けさだったり、また人数的にも力強さだったりの印象が強かったけれども、文楽の三番叟は愛らしい。
災厄を払う祈りなので、可愛いだけではなくて、やっぱり何とも言えない「しゃんとした」雰囲気を帯びてはいるし、観ていて有り難い気分にはなってくるけれど、多分、2体の三番叟のちょっとコミカルなやり取り(汗を拭き拭き、扇子ぱたぱたする一体を、もう一体が諫めたりする)があったり、そもそもそれぞれの人形のキャラが全然違うんだな、と分かるような動きをお人形がすることが、可愛さを感じる理由の気がする。
一方の仮名手本忠臣蔵は、シリアスだ。忠臣蔵ものなのでシリアスにならざるを得ないのかもしれないけれど(いや、でも歌舞伎の松浦の太鼓はそこまでシリアスじゃなかったな)、とてもシリアスだ。二人三番叟が華やかだった分、人生の遣る瀬無さが身に染みた。
この話の前提としては、女にうつつを抜かした御家人が主人の大事に駆け付けられず、悔いて悔いて、切腹しようと思ったのにそれも女に止められて、女の実家で後悔しながら狩人をしている、というしょうもない経緯があるものの、この御家人の勘平は、本当に巡り合わせが悪かった。
でもこの「巡り合わせの悪さ」もまた人生だな、としみじみ感じさせられた。
もう少しどうにかならなかったのか、と思うことが生きていると、自分事でも他人事でも沢山起こる。あの時ああしていれば、こう言っていれば…それの繰り返しが人生で、抗いようのない波にさらわれて、藻掻くばかりが生きるということ。正にそれだな、と思った。この仮名手本忠臣蔵における、最後の段の結びの詞章が特に印象的だったので、お終いに引用しておきたい。
「さらば」
「おさらば」
と見送る涙 見返る涙
涙の波の立ち返る人も儚き次第なり