大学時代からの友人○ちゃんと年越し前に会お!と連絡を取る。○ちゃんは今でも連絡を取り合ってくれる数少ない友人で、映画の情報はほぼ○ちゃんから教えてもらっていると言っても過言ではない。金曜に見た枯れ葉を教えてくれたのも○ちゃんだし、夏頃に一緒に見たエドワード・ヤンの恋愛時代は23年のマイベストかも知れない。映画、展示、本、ラジオ、観たり聴いたりしてよかったものを、相手にオススメするというほど気負わず、また反応もそんなに気にせず「これよかたー!」くらいの気軽さで送り合っている。○ちゃんは映画メチャ詳しくて、前会った時はイコライザーのデンゼル・ワシントンにハマっていると言っていた。圧倒的な強さ、見ていて爽快なのが良いそう。俳優さんの名前を言う時、ちゃんとフルネームで、しかもちょっと早口で言うのをいつもいいなと思ってます。
浅草橋の気になってるうつわのお店で開催中の展示に付き合ってもらうことになった。せっかくなら、のんびり総武線で揺られながら行きたいという話になり、高円寺に集合することに。○ちゃんは以前バイトしていた知り合いの本屋さんにお届け物をするそうなので、駅前の本屋で待っている。店頭で気になっていた雨宮まみさんの遺稿をまとめた新刊を立ち読む。ブログ「穴の底でお待ちしています」を秋頃から読んでいる。ただ気持ちを吐露したいだけなのに、もっと大変な人がいると不幸の対抗馬を持ち出されたり、頼んでもいないのに勝手に解決策を提示してこようとする愚痴に対する人々の反応。人の気持ちをそのままで受け取ることは大変なエネルギーが消費されるので、自分の理解できる形に歪めて納得しようとするのだと思う。アドバイスを垂れるのではなく、投稿者の悩みが世間ではいかに誤解されているものなのか、雨宮さんがそっと寄り添う文章は、日々感じているモヤモヤが解体されていくような気持ちになる。
“苦しみや悲しみって、そんなに簡単に他人が「わかる」ものじゃないんです。つらい気持ちっていうのは、すごく個人的で、その細部は自分にしかわからなかったり、自分にすらわからなかったりものです。"
“自分がつらいことと、前向きに生きたいことって、矛盾することじゃないです。つらいからこそ、前向きに生きたいし、明るい気持ちになりたい。だから、どっちの気持ちも否定しなくていいんじゃないでしょうか。”
浅草橋に向かう総武線の中で先日見た枯れ葉の感想を言い合いながら、○ちゃんが買ったパンフに掲載されている監督のメッセージを見せてくれた。自虐と皮肉、聴衆に判断を委ねている余裕のある嫌味のなさとジョーク、ウィットに富んだ文とはこういうものかと思う。駅に着くと○ちゃんが以前どこかの人形屋さんで翌年の干支のぬいぐるみがディスプレイされていて可愛かったというので人形の久月に向かう。店頭にそれらしいものが見当たらず、○ちゃんはカメラロールを猛然とスクロールし始めていた。ここまで来たら見ない訳には年越してられないわね。探しながらも、うつわ屋さん白日に向かう。スプレーをかけたようなメタリックうつわ(土にアルミニウムを焼き付けているらしい)や細かい割れ目がざらついているものも面白かったが、自分には少し馴染まなかった。2階に上がると少し落ち着いたシリーズが展示されていて、とてもよかった。アイボリーの地に縁の周りに肌色がかったグレーが靄のように淡くかかっているうつわを購入。深さもあって煮物や軽くであれば汁物もいけそう。厚みも程よくしっとりつるんとした質感が気持ち良い、使いやすそうで嬉しい。
うつわ屋さんを出ると○ちゃんがぬいぐるみディスプレイが久月ではなく、吉徳であったことを突き止める。顔が命の方か〜と駅の反対側に向かって歩き出す。明暦の大火後、吉原や見せ物小屋などが浅草の方に移動してきた名残で人形屋さんが今も多いらしい。なんとなく街の雰囲気がいい感じだったので、蔵前の方も含めもっとこの辺り散策したい。吉徳に着くと確かにぬいぐるみが陳列されていて、龍のコスプレしたスヌーピーが牙を剥き出しているのがあったりして、スヌーピーってこの形態も対応可なんだ…と愛されキャラクターの汎用性の高さを垣間見た。他はぬいぐるみ黎明期の復刻版のような面構えのいにしえ感強いものが多く、キュートさ控えめで手に取りたい感じのものは見当たらず少し残念だった。馬喰町まで歩いてコーヒーとアイスなどを提供するカフェに入る。角地にある古い雑居ビルの窓の大きい一階で店番をしたい。