本日で仕事納め、弊社は最終日に一日かけて忘年会が実施される。その年に入社したスタッフがレク的なものを企画し午前中に実施、午後からは完了したプロジェクトについて担当者による発表、その発表に対して全社員で投票、更に今年一番頑張ってたと思うスタッフを選出する投票・表彰などが行われる。お昼に乾杯をして飲酒しながら会が進む。去年よりも数段和やかな雰囲気な気がする。去年もこんないい感じだったけ?と思いながら、前回は企画する側だったし緊張していたのかも、実際あまり覚えてない。役員の話なども済み、会としては中締め、その後は有志(と言ってもほぼ全員)でそのままオフィスで飲み会が続く。
中盤、ちょうど今年50歳だという酒が回っている様子の別チームのマネから「〇〇〇〇って男と女、どっちが好きなの?」と聞かれる。カウンターの周りには5人くらいの人がおり、その質問が聞こえていた(反応を示した)のは、自分と50歳マネに加え同じチームの先輩の3人のようだった。久しくこの手の質問を受けていなかったので、咄嗟に反応ができなかった。純粋に気になっただけ!と無邪気を装っているが、この手の質問をすること自体が、あなたが私に対してどのような印象を持っているかを如実に示していることに気づいている?仮にも上席の人間としてのリテラシー大丈夫か?次第に鼓動が速まり怒りが喉まで沸騰してくと同時に、一瞬でその人に対する全ての感情が消えていくのを感じる。どうしてその質問をしてみようと思ったんですか?などと穏やかを装いつつ質問で返し、落ち着こうとしながら、心の中で「年下とこの手の話でしかコミュニュケーションを取れないんですね」と哀れみ見下すことで相手を攻撃して、なんとか傷つけられた分相手を傷つけたいと思ってしまう。
程度の違いはあれども理念や取り組みに賛同して志を同じくする人が集まっていると思っていたこの会社でさえ、その質問が私やその質問を聞いた周りに人にもどんな余波を与えるか想像できない、質問をすることに躊躇いや疑問を感じない人間が、こんな間近にいることに衝撃を受けてしまった自分は社会に対してナイーブ過ぎたのだろうか?徐々に鉤括弧付きのリテラシーになってきていると思っていたのは幻想で、皆 感心と好奇心を建前に普通を振りかざしています。
マスキュリンなタイプではなし、所々その質問をされても仕方のない雰囲気がある自覚があるが、なぜこちらが仕方ないと言い訳を考えてあげないといけない?複数人で親しくもないのに親しくなるために色恋の話をしたがるのなぜ?バカとエロの大縄跳びで盛り上がっている人をみると冷笑してしまう、楽しく過ごしたいのに相手の言葉尻がいちいち引っかかってモヤモヤする、話すのは好きだし色々な話をしたいけどこの話はしたくないとボーダーを引くのは自分勝手なのか、自分は〇〇愛者であると言い切ることに価値を見出せていないしセクシャリティを明確に意識していないのにそのことを相手にどう話すことができる?変に気遣われて話しかけられにくい雰囲気になりたくない、こんなことをきっかけに自己嫌悪したくない
少し落ち着いてくると、「自分の当たり前は他人のそれとは全く異なること」というこの世の常識に改めて殴られて脱力する。あの質問に悪意が含まれているなら、当人とは今後なるべく業務以外の交流を持ちたくないと防御姿勢をとって、あの人とは相容れない関係性と決めつければ簡単だと思う。その一方で、「私のこうした逡巡が存在していることすら知らない人」が抱えている様々な逡巡を、自分は受け入れることができるのか、と問われると自信がない。私は「相手の当たり前」を「自分の当たり前」を受け取って欲しいように、そのまま受け入れられるか。私は私で自分の普通を盾に取って他者を受け入れないようにしてはいないかと悶々とする。
場所を変えて飲みにいくことになったが飲みにいく気分にもなれず適当に帰る。帰り道に無為に煙草を買って吸うがヘドロのような気分は晴れることなく悔しく虚しくて泣きそうになるだけだった。