本を読んでいたらうっかり眠るのを忘れていた。今は早朝5時だ。ここから眠れるはずもないので、起床時間までの手持ち無沙汰をメモを頼りに正月の回想で紛らわしている。
一月のはじめ、初詣に行くために山地を横切ってドライブした。その日は綺麗に晴れていて、どでかい枯れた山にどでかい雲の影が落ちているのがはっきり見えて、すごく変な気分になった。ものすごく大きなスケールのものなのに、それが何にも遮られず一枚の絵として自分の目に飛び込んでくることの不思議さ。そこでふとおかしいのは自分の感覚のほうだということに気づいた。東京でも自分は大きな雲の影になったりならなかったりしているわけだが、東京という街はそれを見渡せないような設計になっている。見えるはずのものが見えないように、細切れにされ、分断されている。視界が街によって規定されている。空が山の稜線によってではなく幾何学の線によって切り取られているというのは、思ったよりも感覚と認識にとって重要な違いであるようだ。ちなみに初詣は行きそびれた。おびただしい数の車が神社の周りをぐるぐるしていて駐車不可能だったのだ。仕方がないので墓参りをして帰った。
メモに書かれていた面白みのある文章はこれだけで、あとは湿気たものしかない。下北沢って北も沢もあるからほとんど沢北じゃんとかアホなことしか書いていない。ここは逆に沢北ではなくて北沢である。いや下北沢だ(何を言っているんだか……)。
脳みそがどんどんふわふわしてきているので兎にも角にも早く寝てしまいたいが、今日も眠れなさそうだ。深夜に本を読みはじめると高確率でこうなる。こんなにも本を読んでいるのにそれをはるかに上回るペースで本をばかすか買うのをやめたいし、結果がわかっているのに深夜に読みはじめるのもやめたい。そしてばかすか本を買う家の本棚は常にあともう少し入りますねという空きが無ければならないが、そんなものは常に無い。本棚サイドももう少しやる気を出してほしい。
わたしも本にかまけることなく眠りにやる気を出してほしい。眠って健康になろう。そして元気に2月のイベントに遊びに行きたい。