愛したいという感情は欲望にすぎないが、それによって為された行動は必ずしもエゴイスティックではない。つまり、愛はエゴな欲望・感情から出発し、着地点として変容した何かであるのかもしれない。
私は愛の人だと言われることがあったけれど、自分としてはある感情を受けとめてくれる相手にその感情を投げかけ続けていただけだから、全く自己犠牲はないし、むしろ自分勝手だった。ただ相手がいる時点で自己完結しているわけではないので、愛したいという欲望は、単なる欲にとどまらないのだと想像する。もちろん欲望のみで終わることもあるだろう。
何が言いたいのかというと、自分勝手であることをネガティブに捉える人が多いけれど、必ずしもネガティブに働くものではなくて、エゴから出発しても人に影響を与えることで愛などに変化する可能性を秘めているから、ある程度は自分を信じてやってみても良いのではないだろうか。おそらく、もっと厳密に語る必要を感じているけれど、人のためになると信じてやることは無駄ではないはずで、始めは勝手な思い込みにすぎないことでも、知らず知らずのうちに人を助けることがある。だからしてみたいことをするのは必ずしも悪ではないのではないかとふと思った。
当たり前な着地で、歯がゆさはあるけれど思い出したので書き留めておく。