正確には拾った。多分。まあ怪しくはなかった。だって知り合いの友達で顔見知りだったから。その知り合いに絶大な信頼を置いていたので、警戒することを忘れていたのかもしれない。
拾ったとき、猫はとにかく震えていた。寒さにではない。おそらく病によって。そんな気がした。可哀想という感じではなかった、私は震える様子になんだか呆れてしまった。
「ああもう」
思わずそういって家の中に彼を入れた。彼は玄関前にいたのだ。視界に入れざるを得なかったし、ここで追い払えるほど私は人ができていなかった。猫はしばらく黙ったまま、私がコンビニで買ってきたご飯を見ることもなく俯いていた。震えは一時的に収まっている。
「あのね、君」
うんざりした私は仕方なく口を開く。
「君の目、汚れているよ」
猫は驚いて思わずこちらを見る。
「なんで……」
甲高い声だった。あ、なんかイメージと違った。私は少しだけ可笑しくなってしまう。
「そのうち君にも分かるよ。いいからご飯食べて」
出会い方を間違えた気がしたけれど、こういう関係に正しいも間違いもない気がした。それから私たちは共同生活を始めたのだけど、普段猫はほとんど家にいなかったし、お金はかからなかったので、部屋に自分以外のものが棲んでいることにあまり気にならなくなっていた。
猫は女癖が悪かった。というか悪い感じがした。始めからそういう予感はあったのだが(しかしその予感が容姿によるものであまりにも偏見だったので考えないようにしていた)、実際そんな勘だけは当たってしまうらしい。帰宅時に連れ帰ってくる香水の香りは毎回違うし、私の前でも平気で電話をしているため、相手の子が複数人いることはよく分かっていた。どういう関わり方をしているのかまでは分かりかねるので、複数人と関係を持つことがそのまま悪いことであるという認識を持つこともできなかったが、まあ「女癖が悪い」という表現でいいと思う。ただそういう話を家でしたことはなかった。女性関係についてはそこまで興味の持てる話でもなかったし、私は私で恋人に事情を説明し、理解を得ることに苦労していてそれどころではなかったからだ。
猫と私が一緒に寝ることはなかった。そういう関係でもないし、猫は私に拒まれていることを察知していた。私は彼の例の病が治るまでは絶対に嫌だった。彼がなぜ常に女の子と連絡をとっているのか理由は分かっていた。というか、あの震えを見たときから見当はついていた。彼は出会った頃に私が言った言葉を覚えているのだろうか、分からない。優しくするでもなく、厳しく接するでもなく、私はとにかく猫とたまに同じ空間にいて、同じ時間を過ごしていた。私といても楽しそうでもないのに猫はなぜか家から出て行かなかった。
「あの」
あるとき、猫がよそよそしく話しかけてきた。
「なんでしょう」
「なんでそんなに僕を信じていられるの」
「……信じているわけじゃないかもしれない。ただ傍観しているの、趣味が悪いでしょう」
「そうかあ。でもさ、目は誰でも汚れているはずなのに、どうして僕にだけあえて言ったんだ?」
「ああ、覚えてたんだ。君は人を巻き込んでいるからね、私にまで及んでいるわけで」
「たしかに。でも、家を出ればいいわけではないでしょ」
「そう。君の震えが治ればいいと思ってる」
「それは、そういう性質だもの」
「思い込みだったらどうする?」
会話はそこで途切れる。
それから変わることなく生活を続けていたけれど、若葉の光る季節に猫はいなくなった。彼の震えが止むのを見届けられなかった私は、なんだかいたたまれなくなって、引っ越した。説教はしたくなかったし、絶対に正しい答えを持っているわけでもなかった。だから、傍で見ていることしかできなかったのに、なんだかやるせなかった。同じ猫は二度とやってこないのに、そんなことばかりの日常になっていた。私の目も汚れている。けれど、季節の円環は美しくて、自分一人で世界を壊すこともできなくて、何かが愛おしいあまりに正しくない出会いを繰り返すのだった。謎。