これはかつて旅行した佐渡の夕日。
今年は忘れられない正月になった。1/1は年末の疲れが出て、頭だの腰が痛くてたまらず、昼前に起きてお雑煮を食べて、そのあともう一度ベッドに戻り午後4時過ぎまで寝ていた。4時過ぎに関東でも震度3程度の地震があったらしいのだが、その揺れでは起きず、起こされてテレビを見ると能登半島で震度7の地震が起きていた。緊急地震速報が鳴り響き、どの番組を見ても地震一色で、思わず「こんな正月から…」と声が出てしまった。能登半島の辺りは少し前から地震活動が活発になっていて、以前も震度6の揺れで倒壊する古い住宅が出ていたことを知っていたので、予想だにしなかったと言うよりは「ついにこの日が来た」という感覚だったけど、まさか元日にこんなことになるとは思いもよらなかった。能登半島の先の方は古い家が多いので、全部潰れているんじゃないかと思ったその時の予感は、残念ながら当たってしまった。
LINEで実家に連絡をすると、「今玄関で待機しています」という返信があった。とりあえず、海の近くの介護施設で働いている母親が元日は休みだったらしく安心した。その後、車で高台に避難したようで、しばらくするとそこからさらに近くの公民館へ行ったとの連絡があり、ご飯を食べて22時過ぎには自宅に帰ったようだ。うちには93歳の認知症の祖母がいるので、避難するのも一苦労だっただろう。結局、テレビで言うような津波は実家の方には来ず(実家は山の方なので当たり前と言えば当たり前ではある)、富山市では80センチの津波を観測したにとどまった。富山市と言っても広いので、富山市のどこの海なのかはわからない。能登半島の方では津波が集落を襲ったところもあるようで、まさか北陸に津波が来るとは思わなかった。東日本大震災の時も同じようなことを思ったけど、海は人間の生活に幸を与えると同時に、それを奪いもする。
その後、神奈川にいる私の方では何かをできるわけもなく、テレビで地震の状況を確認しながらも普段通りに過ごした。1/2には正月からやっている鍼に行き、驚くほど全身が楽になった。いろいろな人から地震大丈夫LINEが来ていて、一件一件返信して、今は神奈川にいるので問題ないことを説明する。こういうときに心配してもらえるかどうかで、日頃の行いが推し量られる気がする。