「配属に不満で辞めちゃう新卒」の話がちまたで盛り上がっているらしい。
前提、この表現の正確性は問わないものとさせてほしい。「僕がこの話題(噂?)から連想して考えたこと」を書く記事です。
わかるな、と思う。や、背景とか知らないんだけど、想像でね。
自分が好きなこと、嫌いなこと。得意なこと、苦手なこと。やりたいこと、やりたくないこと。それなりにわかっている感覚。後者だとわかっているところに、みすみす飛び込みたくない。
だから、僕は就職活動のときに「総合職」の募集はできるだけ避けていた。というか、「総合職」には結局ひとつも応募すらしてないんじゃないかな。
もっとも、経験が少ない段階での「感覚」は、思うほどには頼りにならない。今となってはそれもわかる。とはいえ、真剣に考えた自分なりの結論を尊重したい気持ちはわかる。
他にも、想像が働く。
たぶん、職種の希望を聞かれていたのだろう。伝えてもいないのに、希望に沿わなかったから即やめると言うのはさすがに狂気というものであるから、妥当な想像だと思う。
もちろん、世の中、希望が通らないことはある。それくらいのことは、わかる人がほとんどだ。(わからない人もいないわけではないだろうが)
だとしたら、「きっと通るだろう」という期待と、通らなかったという結果との差の「大きさ」が問題な可能性がある。通らないこともあるよ、と伝えられていれば、そういうものだ、とも思えるからだ。
「真逆」の配属になった、ということも考えられる。たとえば、極端な想像上の例として、備考欄に「人と話す仕事は絶対に無理です」と書いていたのに、営業職に配属された。
そもそも「総合職」の範囲の中に、人と話さない仕事はほとんどないだろうことはともかくとして。この結果からは、人の話を何ひとつ聞かない(人たちがいる)会社なんだ、ということがわかる。もし同じ立場に置かれたら、僕もやめるかもしれない。
「話が通じない」ということは深い絶望につながる。いや、正確には、そういうことが深い絶望につながるタイプの人たちというのが世の中にはいて、僕はたぶんそうだ。そういうタイプ。そういうタイプらしい、ということが、それなりに長いこと生きてきてわかってきた。
配属に不満で辞めちゃった新卒の人も、もしかしたらそうだったかもしれないな、と思う。合う場所を見つけて、強く生きてほしいな、と思う。
思えば、話が通じない、ということに繰り返し絶望を感じてきたな。それでも、絶望しきることはなく、ひとしきりへこんで、また立ち上がって、それなりに強くなってきたように思う。
話が通じないということに慣れること、話が通じないときに通じるように手を尽くすこと、話が通じなそうな場所からはあらかじめ遠ざかること。
もしかしたら、「配属に不満で辞めちゃう新卒」は、話が通じなそうな場所からあらかじめ遠ざかるという技術をうまく使ったのかもしれない。それなら、それでいい。願わくば、話が通じないということに慣れることや、話が通じないときに通じるように手を尽くすことにも、少しずつ習熟していってくれるといいなと思う。
そうなれば、生活が楽しくなるから。