チームの一員だからこそ、チームの成長に責任を持てる。

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公開:2024/5/16

少し前に『コーチングアジャイルチームス』を読んで、アジャイルコーチの仕事というものについて改めて学んだ。

結果、「チームのいちメンバーでありながら、チーム(や個人)を育てる」ということの難しさをはっきりと感じるようになった。

以前からずっと考えていた問い。アジャイルコーチは、コーチであるということ。コーチングにおいて、主語はクライアント(チーム)。チームの夢、課題、責任の問題だ。アジャイルコーチの夢、課題、責任、ではない。

だから、アジャイルコーチははっきりと「主語はあなた(たち)」と言うことができる。はっきりとそう言うことによって、チームの成長を力強く促すことができる。そう考えていたし、今もそう考えている。

でも、そうだな。

チームのいちメンバーであるからこそ使える力、というものもあると思うんだよな。思いかったし、思いたい。そしてつい最近、実際にある、と思えるようになってきた。

チームのいちメンバーであることには、強力なコミットメントがともなう。チームのことに責任を持つ、ということ。

アジャイルコーチは、チームの成長に責任を持つかもしれない。しかし、究極的には持ちきれないのだ。チームの成果の責任がチームにあるように、チームの成長の責任も、チームにある。アジャイルコーチの位置からは、それを持ちきれない、と思う。

チームのいちメンバーであるからには、チームのことは自分(チーム)の責任になる。そこに深くコミットすることになるし、すべきでもある。

チームの成果や、チームの成長に、文字通り責任を持つ。私もまた、チームの一部なのだ。だから、責任を持つことができる。

ああ、そうか。僕は「チームの成長」を考えるとき、無意識のうちに自分をチーム、別の言葉で言えば「自分以外の個人」から切り離してしまっていたんだな。

チームの一員であるとき、わたしはチームの一員として、チームの成果や成長に責任を持つ。成果や成長に及ぼす影響、そのためのスキルが高ければ、担う役割も相対的には大きくなるだろう。

それでも、それはわたしだけの仕事ではない。チームの仕事なのだ。

「チームのいちメンバーでありながら、チーム(や個人)を育てる」ことを考えるとき、アジャイルコーチよりも有利なのは、自分自身もまた、チームの一部であることだ。

自分(たち)が育てばいいだけなのだ。なんて有利なゲームなんだろう。