価値を生み出したいという気持ちだけが物心ついた頃から一貫していて、何を価値だと思うかは少しずつ広がっている。
移り変わるというよりは、広がっていると思うな。
価値を生み出していると思えるかは、以下の掛け算によって決まる。
価値が「場」から求められている(と僕が感じる)程度
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(自分が実際に生み出している価値 - 「場」にいる他の人が生み出せる価値)
第一因子について、「場」はかなり恣意的に決まる。端的に言うと、僕が何を「場」だと思っているかによって決まる。極論、「世界全体」かもしれないし、「あなた」かもしれない。今のところ法則は見出せておらず、僕が気分で決めている、としか言えない。
第二因子について、平たく言えば「自分がやった方がいいと思えるか」というやつだ。相対的に得意なことはそう思いやすい。絶対的に得意かは実はそれほど関係なくて、僕が「場」だとみなした範囲で相対的にどうか、ということが問題になる。
働き始めるまでは「経済」というものの価値がさっぱりわかっていなくて、僕にとっての第一因子はほとんどゼロだった。大学の学部を考えるとき、経済学部ははじめから選択肢になかった。
(広義の)芸術にとりわけ大きな価値を置いていたから、第二因子の大きさに自信があったわけではないけれど、何か「作品」を生み出せるようになりたい、と思っていた。
実際、第二因子はとても小さかった。世の中には、「作品」に対するたくさんの才能と努力が溢れている。「世界」を場とするなら、僕はとうてい及ばなかった。
プログラマーとして働き始めたとき、情報技術は世界から強く求められていたし、多くの善を生み出せる汎用装置だと考えていた。それに、結構得意だった。第一因子も第二因子もとても大きかった。
そうして十余年が過ぎた。
ここ数年は、経済情報を扱うソフトウェアサービス企業で働いている。そうする中で、次第に「経済」というものが第一因子(の候補)として大きくなってきたように思える。結局、僕が気分で決めているものなので、僕が何かを知るにつれて、割とあっさり変わっていくものなのだ。
まだ確信はない。芸術よりも小さいし、情報技術よりも小さい。それでも、それなりの大きさがありそうだな、と感じ始めている。
それが面白いな、と思ってこの記事を書いた。(ということに、ここまで書いて気づいた)
価値の他に、もう一つ一貫して追い求めているものがある。
真・善・美だ。
あるいは、僕の中で真・善・美にかなうものを価値とみなしている、と言った方が正確かも知れない。
経済は、善でも美でもなく、真かどうかも怪しい、というのが昔の僕の見方だった。そこまで言語化していなかったけれど、振り返ってみればそういう風に考えていたのだと思う。
今は、情報技術と同程度には、真・善・美の要素を持っているのではないか、と思うようになっている。少なくとも、善に資するものでありうるのでは、と。
これって、経済学部に行くような人が、中学生とか高校生の頃に思うようなことなんだろうな、たぶん。でも、なんか嬉しい。
なぜ嬉しいって、真・善・美、あるいは価値であると思えるものが増えれば増えるほど、僕が価値を生み出していると思える可能性は広がっていくから。
人生が楽しくなるのだ。
思えるようにする、という視点はなかったなあ。決して無理はしたくないし、しない方がいいと思うし、しないけれど、それが選択肢にあってもいいんだよな。
僕がもう一つ大事にしているものを思い出した。
自由だ。
自由とは、選択肢のことだ、とおおむね思っている。
選択肢が増えると、自由が広がる。
嬉しいな。
というわけで今日は、価値を生み出している、と思えるようにする、という選択肢を手に入れた。