最相葉月『証し』を読んでの自分語り

はるな
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 もともと「寺町」という名前だったくらい周りがお寺、という立地の家に住み、自宅には仏壇のみならず神棚もあり、周りのお宅には某学会と某科学の信者の方がいる、という環境で育ったわたしは、10年近く教会に通っていたノンクリスチャンだ。通っていたのはプロテスタントの日本バプテスト連盟の教会。あの中村哲さんも信者だった宗派のところだ。

 教会に通うきっかけになったのは母の大学時代の友人がクリスチャンで、その教会の子ども向けの教会学校で先生をやるから来ない?と誘ってもらったことだった。母はピアノをやっているので、そういう意味でもキリスト教は近しいものだったのかもしれない(クラシックはどうしたって宗教曲の側面がある)。わたしがたしか3年生のときだった。すぐに友だちもできて、教会は週に1回通うところ、としてインプットされた。小学校ではなかなか周りと馴染めなかったのに、教会ではみんなが受け入れてくれるから、わたしにとってはとても楽しい場所だったのだ。夏休みは毎年東北地方のすべての教会から集まる子どものための修養会に泊まりがけで参加し、県外にも友だちができて手紙のやり取りをしたり、近くだったら遊びに行ったりしていた。いつだったか、伊豆の天城山荘というところで開催された全国の子どもの集いみたいなものにも参加したことがある。教会に来てる子ってこんなにたくさんいるんだ!という衝撃を受けた。

 そんな環境で、幼いながらにも周りにも同い年や年下のクリスチャンの子がいて、わたしがそれを羨ましく思ったのは、もしかしたら当然のなりゆきだったのかもしれない。6年生(だったと思う)のときに、わたしもクリスチャンになりたいと言い出し、母はともかく、父が大反対し、当時の牧師先生が家を訪ねてきて父を説得しようとしたこともあった(ということを、先日母が言っていて実に30年ぶり以上に思い出した)。親の承諾が得られないならバプテスマ(洗礼)は先延ばしだねということになり、計画は一旦頓挫。中学のときはそれでも通っていたけれど、高校になって教会に行く間隔は間遠になり、大学進学を機に、わたしは教会から離れた。夫が大の宗教嫌いということもあり、結局バプテスマは今に至るまで受けていない。そして、2年前に母がバプテスマを受けてクリスチャンになった。しかも、父の承諾は得ないまま(曰く、「だって信教の自由があるし」)。

 でも、やはり子どもの時期に受けた教育(といっていいのか)は根強く、うまく表現することはできないけれどキリスト教的な考え方をしているところは自分でもときどきある。聖書の聖句を覚えていたりもするし、すぐ下の妹に至っては「主の祈りまだ暗記してた!」と言う。大人になってから出会った大切な友だちがやはりクリスチャンで、うちの県の基督教独立学園の出身ということを知って驚いたこともある。やっぱり、わたしにはキリスト教は身近なものなのだ。

 最相葉月さんの『証し』を読んで、みんなそれぞれに神様との出会いが人生で設定されていて、たとえば何度離れても戻ってくる、あるいは戻されるということがほんとうにあるんだな、と思った。そして、あんがい1回離れた人が多いんだな、ということも印象に残っている。それでも戻ってくるというのはどういう理由があったんだろうな、と気持ちを馳せた。わたしの人生にはプロテスタントという選択肢しか示されなかったけれど、プロテスタントにもいろんな宗派があり、さらに大きなくくりとしてはカトリックもロシア正教もあり、それぞれが信じている神様というものがみんな同じかはわからない。でも、絶対なんていう言葉が信用できないこの時代に「絶対」と信じられるものがあることの幸福と、自分の心に沿わないことが起こったときに「なぜ」と問いかけられる対象があることの幸福が、この人たちには与えられたんだな、と思った。