5月末でベンチャーのハウスメーカーを辞め、8月から地元老舗の建設会社で働いている。前は新築の家ばかり扱っていたのが、今度の会社は建築一般。公共工事もすれば一般住宅もする、総合建設業の会社に移った。扱う案件の金額が、1桁2桁、ややもすると3桁増える!!!
今回の転職で目指したもの
今年の2月下旬、どうにもがまんならないことが起きて、ああもうだめだ転職しよう、と心に決めてから内定が出るまで4ヶ月。わたしは今回の転職を最後にしたかった。いい会社に入りたい、と思っていたけれど、その「いい会社」って何だろうと考えて、理想の転職先の条件を書き出してみた。
ワークライフバランスが整っている(残業は最小限)
完全週休2日制
社内で怒鳴り声がしない、パワハラチックな指導がない穏やかな職場
年収アップ
バックオフィス業務をきちんと認めてくれている
人事評価制度がしっかりしている
自分なりに上記の条件に当てはまる項目が多いところを選んでエントリーした(はなから数えるのを放棄している)けれど、書類落ちが当然、1次面接で提供しろと言われた個人情報に納得がいかずにその場で辞退した企業もあった。最終面接まで行った士業の事務所もあった。その事務所は感触もよく、手ごたえもあったけれど決まらなかった。正直、かなり落ち込んだ。年齢も年齢だし、しかもわたしには一貫したキャリアもなく、文字や資格で表せるようなたいしたスキルもないとわかってはいるけれど、それでも(実際に働かせてもらえればけっこう役に立つんだけどな、と思っていたけれど、それを面接で言ったところで通じるわけがない)。はじめはエージェント経由での応募が多かったけれど、徐々にハローワークの求人も見るようになった。
ただ、ハローワークの求人って、なんであんなに給与が安いの? エージェントの求人とは雲泥の差。これしかもらえないならこの会社にいたほうがいいのか? でもあの職場環境でこの先ずっとやっていける気はしないし…と暗い気分になることも多々。退職する1ヶ月前くらいがいちばん焦っていたかもしれない。
また建設業はちょっとなあ…
前の会社を退職する3週間ほど前にハローワークに行ったら、もう15年以上前に働いていた職場の同僚が窓口で担当になってくれた。いくつか紹介状を出してもらったあとで、「あとさ、個人的にここおすすめだよ」と求人情報を出してくれたのが、今の会社。「給料も一般的な事務より高いし、ボーナスきっちり出るし、お休みも多めだし」と言う彼女を見ながら、でもわたしは逡巡していた。理由は「建設業だから」。実は父も現役時代は建設会社に勤めていたのだが(父は建築ではなく土木が専門)、どうしてもハウスメーカーのときの印象が強くて、パワハラが横行してそう、荒っぽそう、というイメージがあったのだ。また建設業に行くのは、正直ちょっと抵抗があった。でも決まるかわかんないし、その前にどこかに内定するかもしれないし、と、何社か履歴書を出すついでに、今の会社にもエントリーしたのだった。
そして「ぜひ面接に来てください」と5月下旬に電話が来たのだが、提示された日程が6月中旬。なんてのんびりしてるんだ…と思ったのを、いまなら「うん、この会社ならさもありなん」と思う。
「相談は踊る」で聞いたスーさんの言葉
そんな5月21日、大好きなジェーン・スーさんの、TBSラジオの帯番組「生活は踊る」の「相談は踊る」のコーナーをPodcastで聞いていたら、目から鱗がばらばらと何枚も落ちた。あまりに自分に合致しすぎたので、ここで抜粋・引用させていただく。
「『求められて何とかこなして』というアドレナリンこそが仕事だ、と思っていないか」
「自分がひどく傷ついたり嫌な思いをした環境とか人って、よっぽどちゃんと意識していないとまたそっちに吸い寄せられちゃうんですよね」
「支配されることがある種の快感になっていないか」
「よっぽど気をつけて新しい環境に入ったときに、つまんないと思っちゃうんですよ。平和なことが物足りない。でも、あなたがこれまで物足りてたことって、これまであなたが感じた痛みであって、それは幸せを象徴するような行為ではない」
「そもそもなんでワンピース欲しかったんだっけ? って考える」
「自分がなんとなく無難な選択をしているんじゃないかと思ってるんだとしたら、さっきの、『殴ってないときはいい人なの』って話を思い出してほしい」
じゃあどうする?
徹頭徹尾、わたしの話だった。求められて何とかこなして、自分が役に立っているような気持ちになる、スケジュールが会議や打ち合わせで埋まるとデキる人間のような錯覚に陥り、それに疑問を持たなくなる、「どうせ言ったって無駄だよね」とゆるやかな、でも積極的な諦めを持つようになる、忙しいことが快感…とかとかとかとか。
そもそもわたしはかなりワーカホリックなたちだ。新卒で入社した会社からいままで、忙しい会社で働いていることが多い。高校時代の友人たちからも、「はるなはいつも忙しい会社にいるよね」と言われるし、ハウスメーカーの前の会社を辞めたいちばんの理由が、「同じことの繰り返しで退屈」だったのだから筋金入りだ(まあ当時は派遣社員だったから当たり前だし、ほかにも理由はあったのだが)。いったんは「ああもう無理、淡々と仕事できるところで働こう」と思っても、だんだんそんな毎日がつまらなくなり、刺激を求めてまた両極端な会社に行く、というのがこれまでの常だったのだ。
でも、今回はそういう連鎖を断ち切りたい。体力的にも、これまでの会社みたいに連日連夜残業して、毎日が文化祭の前日!!! とにかくなんとか間に合わせてその場をやり過ごす! みたいな働き方は、もう無理だなと実感していた。そして何より、ほかの人が大声で怒られているのを横目に見つつ、自分は小さく身を縮こまらせながら仕事をするのは不健康すぎて、どうしても離れたかった。そんなときに、このスーさんの言葉はぐさぐさ刺さった。刺さりすぎて、文字起こしをして、アンダーラインまで引いた。
そうか、わたしが今後の生活で大事にしたいのはこういうことなんだ、とやっと腑に落ちた瞬間だったのかもしれない。
淡々と仕事をすること。仕事で認められたらもちろんうれしいけれど、必要以上に自分の価値をそこに置かないこと。たとえ何か失敗しても、わたしという存在が毀損されることは一切ないこと。長時間働き、常に忙しいことがデキる人間の証明にはならないこと。言葉にしてみると至極当たり前のことなのだけれど、たったこれだけのことを理解しかつ納得するまでに、ずいぶんと時間がかかってしまった。
それで、入ってみてどうなの?
面接は1回、なごやかに終わり、これたぶん決まるんじゃないかなと思ったらやはりそのとおり、「ぜひに」と連絡があったのが6月の終わり。2回の事前打ち合わせを経て、8月1日付けで入社の運びとなった。急いで入社! とならないところが、いかにもこの会社である。
配属は営業部営業課。外に営業に出ることはなく、職種としては営業事務になる。いま部長代理として営業事務の多くを担っている男性が来年の8月で定年退職するため、それを見越して1年間かけて育てる後任、という役回り。営業は9人、男性ばっかりで個性的な面々だ。
部署は、前と同じ建設業とは思えないほど穏やかでのんびり。もちろん営業さんには目標の数字が設定されているので、のんびりしているのはわたしだけなのかもしれないが、怒鳴る人がいないだけでもわたしには天国だ。引き継ぎも、1年あるからなのかかなりのゆっくりペースで、新しいことを教えてもらえるのは1日1つ、みたいな印象。あのう、もうちょっと教えてもらってもかまわないんですよ…? と言いたくなるところで口をつぐみ、粛々と仕事をしている。そして、定時1分過ぎには退勤打刻をし、5分過ぎにはもう会社の敷地から出ているという、いままでだったら「わたし今日どうしても帰るから!」と周りに宣言してやっていた定時ダッシュを、毎日キメている。それがわたしだけではないのが、また心強い。
もちろん、ん??? と思うところもたくさんある。古い会社だからか、とにかくあらゆることがアナログ。その申請、紙でするんですか? 会議資料、パワポで作ってるならペーパーレスでプロジェクターで映せばよくない?? なんで請求書をWordで作る??? しかもなぜ数字が全角でカタカナは半角なの???? とかとか、言いたいことは山ほどある。でも、それはひとます飲み込んでおいて、その部長代理が退職し、社長が変わったら一気に変えるなり提案するなりしたいな、と案を温めている。
そして、わたしの転職の条件だった6つについては、現時点ではこのとおり。
ワークライフバランスが整っている:残業0!
完全週休2日制:第1と第5土曜日は出勤だけど、まあぎりぎり許せる
社内で怒鳴り声がしない、パワハラチックな指導がない穏やかな職場:少なくとも部署ではまったくない
年収アップ:2割近く上がった
バックオフィス業務をきちんと認めてくれている:営業だけをひいきするようなことは絶対ないと総務の人から聞いている
人事評価制度がしっかりしている:これについてはまだ不明
これだけでも転職したかいがあったというものだ。
そして、これから
どこの会社もそうなのかもしれないが、就職氷河期だったわたしたち前後の世代が、この会社でもすっぽり抜け落ちている。しかも現場で施工管理ができる人たちの高齢化が著しく、ふだん積算に従事しているのはひとりだけ、会社の平均年齢も高め。DX化も進んでいない。これから、一気に会社が変わっていくフェーズに入るのだろうことは目に見えている。
そうだとしたら、わたしにもすこしできることがあるんじゃないかと思う。まずは会社で使えるような資格を取って、自分に与えられた役割をきちんとこなし、意見を言ったら聞いてもらえるような存在になりたいと思っている。
でも、それもまずは自分の生活あってこそ。仕事をするために生きているわけではなく、生きるために仕事をしているのだ。目的を履き違えるのは、もうやめだ。「わたしはどんなふうに生活していきたいのか」、いつでもそこに立ち返って考えたい。「仕事をしているわたし」が主体なのではなく、「わたしが仕事をしているだけ」なのだから。