同居恋人(表現のアップデート)(←ちょっとキレてる)が軽い色弱で緑と黄色の区別がつかないことが多い
私は緑が好きすぎるし、相手は同じくらいの熱量で黄色が好きすぎるから、同じものをお互い自分の好きな色だと思って生活してる時ある(かなり、ハッピー)逆もある(それはそれで、ハッピー)
同じ色を見たいとは思わない でも「私たちが今見てるの同じ色じゃないよね」という確認はしたりする
自分とちがうことの確認は、わりとしたい 楽しい 「比較」すき 有意義
あとわたしぜんぜん自分の目が「正常」とは思わない 健常ではあるよね、誰かが作った基準において…… でもだから「本当はこの色」とか言わない ふたりの間に何があるかだけでいい
そうだろ!??
とはいえ 正しさとかを使わなきゃいけないこともあって 二人でものづくりをしているんですけど 多くの人に正しく伝わるように言葉や視覚的情報を作らなきゃいけなくて そういう時は 「それは緑色だと思います」と言ってね ふう はあ
どうして己は多数派から外れませんみたいな顔して生きてる人が多いんだろう もったいないよーー
ふう…
昨日は桜ドーナツをたべて梅アフタヌーンティーに行ったので、たぶん春的なものが近づいている
そのあとフォロワーのもくりでご機嫌になった おさんぽいこねー
人と人のかかわりもタイミングとか精神状態とかだけじゃなくて天気とか気温とかもうすべてのものが少しずつ作用した結果の今ここ!おれたち!だと思うからほんと全てに感謝ーーって感じになる、今この俺で出会えてよかったよ
あと失踪したフォロワーが生きているらしいことを確認して、安心した
わたしは人を病ませたり○○してくれないと死ぬ!と言わせてしまう怪物だから、死にたいって言ってるひとからめちゃくちゃ頑張って距離を取るのをやっていたけど(優しくしない・声をかけない・心配しない)、なんか友達が死ぬって言ってたらやだよー!死なないでー!って言っていいことになった。呪いが解けた。よかった。だれにもしんでほしくないもん、ほんとは