敵対する正論

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ふと正論パンチによって敵対する・溝が深まるという場面を見る。これは敵対的意図は無いが相手が受け取る事がある。

通常なら正論は理があり、有益なはずで、歓迎されるべきものだ。

一方でこの歓迎されるべきものが時には正論パンチと揶揄されることがある。なぜだろう?

コミュニケーションの構造はざっくり言えば発信者・発信内容・受信者・受診解釈のように分かれると自分は思っている

この記事がとても良いのでコミュニケーションの構造についてはこちらをぜひ一読してみてほしい。。記事中にもでてくるシャノンウィーバーのコミュニケーションモデルなんかも近い感じだった。

正論が正論パンチになる理由はなんだろうか?一言で言えば受信者のなんらかを阻害してしまった時じゃないだろうか?

正論が正論パンチになってしまうのはいろんなところがあるけれど例えば相手が何かしらを推進しようとしている時にその速度を止めるような正論のぶつけ方をしてしまった場合とかにパンチになってしまうのだと思う

とはいえ仕事の場面だと正論パンチをしてでも止めないと自分に被害が及ぶ場合がある。その場合の正論はトータルで見るとチームの為だけどその時点で考えると敵対関係になってしまっているかもしれない。

正論は難しい

正論を真正面から投げても受け取ってくれる人で無い場合、正論をどの位置からどう投げるか?が重要だろうと思う。

特に落ちはないです