この1年セクマネをやったことで必然的に仲間のキャリアの一部を預かる事になるという意識をもった。マネジメントに限らないけど他人を良くするみたいなのはすごく独善的で良い効果かわからない事が多い。ただ、そこはもう自分の信じるところを決めて選択するしか無いのだと思う。
他者が初対面の人を評価する時、実績というものがとても大事だ。例えば大手の企業では学位を持っていることが当たり前のものになっているし、コード等のように評価しやすい成果物を出力しにくい職種では、何にどう関わったか?どういうことをしてきたか?どれだけの時間関わってきたか?それを説明しなくてはならない。また、資格なんかもいいだろう。資格からは一定の知識を保有していること、そしてそのために努力を行う事ができる事の証明だ。これは学位も同様である。
役職というのはそれだけで実績だ。例えば僕はセクションマネージャーを努めているが、自身の主観的な評価はどうであれ、その役職を任命されたという事実は一定の実績である。
ここで改めて仲間のキャリアの一部を預かるならば、それらを任命する必要があるのではないか?と最近思う。もちろんこの任命はメリット・デメリットが存在するとは思う。任命された領域を大きく超えた権限を振り回す人も世の中には居るし、そういった経験がある人は慎重になる。自分にはそれはまだないが・・・
現状の仲間達の性質を考えるとそれらを悪用する人は居ない。であるならば積極的に任命をするのがいいのではないか?と思う。任命するというのはそれまでの動きを認める事でもある。他人に認められる事は自信に繋がり、主体性につながる。これは自分の経験でもそうだったのでやっていきたい。
この課題について、もし力不足であった場合については誰もが考えると思う。もちろんそこは備える必要がある。なので基本評価期ごとに区切る等振り返る必要があるだろう。この話の本筋とは別だけど振り返ること。現状に対して疑うこと。それらの機会を作ること。が良い環境を作る。
セクションマネージャーも2年目となる。自分はこの立場が最適ではないと思っている。最適ではないというのは自身のやりたいこととの一致具合だったり、自分以上に優秀な人達が多い中で自分が担うのはどうだろうか?という疑問があり続けている。
この疑問を解決するために、何が最適なのか?を疑っていかないといけない。
2023年に取り組んだ事は、自分はもう技術領域・プロダクト領域の理解者としてはリードできない事をハッキリと認め、そこに対して意思・知識・技術のある人間にその権限を任せる事を行った。これまで意思決定の場にその人が居ることはなかったが、今現在は意思決定の場に参加しており、多くの人達が彼を意思決定の場で活用している。
この選択は正しかったと言える。
これはきっと実体としてはこれまでと変わらなくても、きっと交通整理になったのだと思う。そのかいあってか最近MTGがなくなりつつある。ファシリテーションは好きなので少しさみしい。
こういった事を考えるのは自身の最終的なゴールは自分の仕事がなくなり、完全に暇になって不要になることだからと言える。これは短期的に見ると自身の収入を向上させて消費をし続けるという課題とは相反する事になるのだけど、長期的に見た時に間違いなく自分を豊かにすると思える。なのでさっさとセクマネ要らないっすねという状態にしたいし、ポジティブな意味でそうなることを僕はきっと目指すべきなのだと思う。
2024年の1月はこの漠然とした思いを言語化するのに7割使った。こうして言語化し、この記事のように書くために様々な人たちと会話をして自分の考えを整理できた。壁打ちに付き合ってくれた人たちには感謝しきれない。