ばくさん、こんにちは。
以前の往復書簡から、気がつけば1ヶ月も時間が空いてしまいました。この1ヶ月一体何をしていたのだろうと振り返ってみても、とにかく目まぐるしく、まるで東京の地形のように上がったり下がったりを繰り返してたという記憶以外ありません。これぞ人生だね。(そうかな?)まるで太陽が人間を焼き殺そうとしているかのような暑さの中、人に会ったり、呼ばれて人に会いに行ったり、はたまた人に誘われて人に会ったりしていたらあっという間に1ヶ月です。
本題に入る前にいっこ先に書いてもいいですか?いいよ。私も植物を育てることが壊滅的に苦手です!!すごい!!一緒だ!!(喜んでいいのか?)うちはどちらの祖母も本当に植物を育てるのが好きで、そして上手な人だったので、小さい頃は「私も歳をとれば上手になるんだ」とか甘っちょろいことを思っていました。甘すぎる、人生のことなにも分かっていないね。
ちなみに私がこれまで育ててきた植物はひとつ残らず残滅してしまいました。めちゃくちゃ構いすぎてしまったり、放置して普通に枯れたり、なんだかよくわからない病気になってしまったり。挙げ句の果てには色の変わり始めた葉っぱに「何が欲しいか、頼むから言葉で教えてくれ」と懇願する始末でした。これってもう上手にならないよね……?
本題に戻るね。この7月に私を最も振り回したのはなんといっても参議院選挙ですね。私の住む千葉県の選挙区でも、立候補者が毎週のように入れ替わり立ち替わり最寄の駅で演説をしていました。ばくさんからのお題である「一発当てたい」を考えながら演説に耳を傾け、この候補者だったらいったい何を願うだろうか、と思いながら彼ら/彼女らをウォッチしていました。
ばくさんの前回の書簡にあった大都市と地方都市の話を、この一ヶ月の間何度も何度も繰り返し反芻しています。私はもともと兵庫県のそこそこ都心に住んでいたのですが、仕事で関東に引っ越してきてからというもの、他とは比較にならないくらい、ここが圧倒的な資本主義流通の中心地であることを日々痛感しています。神戸ですら東京との差異を強く感じるんだもん。田舎はいかほどだろう。
東京という場所は、新しいものや話題のものがちょっと足を運べば(そしてめっちゃ並べば)すぐに手に入り、どれだけ毎週出かけても「行ったことのない場所」が一向に減らない、まるでソシャゲみたいな街です。アクセスできる映画館が多すぎて、観たい映画の選択肢がちっとも減らない。観るべきものがずっと絞れないでいる。いろんな情報がガチャのようにどんどん流れてくるけれど、本当に欲しいSSRにはなかなか巡り合うことがない。毎日、毎週、毎月のように絶えずなにかしらのイベントが開催されている。そして私はSNSでかわいい靴やおしゃれな食器を見かけては、毎週のようにそこをフラリと訪れてしまう。どうしたものか。
でも時々ふと我に返るんです。「これって、私が欲しいものなんだっけ?」と。それから「このイベントそこまで楽しみにしてたのかな?」とか。私にとって必要なわけではなく、まるで洗脳されてここにいるんじゃないかと冷静になり、自分の頬を叩いて帰宅する、そういうことが最近特に増えてきました。それでも、もともと物欲がひどく強い方なので、日々拍車がかかっていく自分を十年近く経った今でもうまく制御できずにいます。
資本主義への抵抗をひそかに日常生活に孕ませながら思うのは、成功した資本主義の形であるチェーン店は一方で私たちに安心感をもたらしてくれる、ということ。どんな土地でもある一定の品質が保たれていて、知らない土地であったとしてもブランドが、店の名前が、安全を保証してくれる。
銀座の一等地にある値段の書かれていないカフェは怖いけど、サンマルク系列のちょっと高級ラインの店になら、入る前から手が届く価格帯だと安心できる。初めて訪れた観光地で歩き疲れてヘロヘロになってもう店を探す元気も残っていないときでも、サンマルクなら間違いなくあの甘さのチョコクロと疲れに効くゆずソーダ(ブラッドオレンジジュースはタリーズだった…!)が飲めるとわかる。そこに生かされている事実も間違いなくある。
そう考えると、グローバル化は多様化だとよく言われるけど、むしろ世界を均一化する行為だなぁと思ったりもします。
ウェールズ生まれのカナダの地理学者エドワード・レルフは、1976年に出版された『場所の現象学』のなかで、「場所に対する偽物の態度」は観光に一番はっきりと現れると論じた。「場所に対する偽物の態度」とは、場所の深淵にある象徴的な意義に気づくことなく、場所のアイデンティティに何の理解も示さない態度である。
(中略)
レルフは、メディア、大衆文化、大企業、強力な中央権力、そしてこれらすべてを内包する経済システムは、普遍的で標準化された嗜好や生き方を伝えルコとにより、どの場所もがその独自性を失うという「没場所性」を直接間接に助長したと指摘する。
引用元:『メディア論 放送大学教材』 水越 伸 (2022)
とはいえ、イギリスで右も左も分からない英語半人前のアジア人学生が救われるような思いでサブウェイに駆け込んだら、日本ではスタンダードの「ハーフ」サイズがオプション注文になっていて、いつの間にか無茶苦茶デカいブレッド一本を買い終えてしまい店の前で呆然とすることもあるので、必ずしもチェーンだからと味方になってくれるわけではないんだけどさ………。
と、私の話はよくて……。上記のように私たちに安心をもたらすものでもあるからこそ、資本主義への抵抗の難しさ、とってもよく分かります。ばくさんの書いていた通り、不買運動だけではなく、権力やマジョリティへの抵抗も同じですよね。安定、保身、習慣、そういったものを手放して変わることは、本来生き物がとても嫌うことです。
だからこそ抵抗は断食のように「一切断つ」のではなく、「できる人ができることをできる範囲でやる」がとっても大切だなと思います。私もカフェに入る時は基本的には内資のチェーンに行きますが、久しぶりに友人と会うときや、どうしても席がないとき、遅い時間になってしまったときは一度店の前で立ち止まり「うーん、仕方ないね!」と自分に一声かけてから入ります。自分を責めて苦しくなっては、本来続けたいものも続かないしね。でもそうやって「たまに」ができること自体が大都会の恩恵をベースに成り立っているのだと、ばくさんのお手紙を読んで感じました。
じゃあ何ができるんだろう。その結論へ急ぐ前に、最終的なゴールのことを改めて確認してみる。目指すべきゴールは商品を廃盤にするとか企業の倒産などではなく、そもそも差別や虐殺のない世界を作ること。他者への蹂躙や倫理観の欠如を土台にしない、公正な取引のもとで行われる産業活動。そして企業や団体がその蛮行に加担しない意思を表明してくれること。消費者にその姿勢を見せて実行してくれること。
であれば、不買という抵抗以外にできることは、別の形でメッセージを送ったり、少しでも多くの人に知ってもらうことなんじゃないだろうか、と。
そうそう、このことを考えながら、女性のスカートにポケットがない問題についても思い出してました。ポケットがなくてもどうしても欲しいスカートやワンピースは当然ある。生地や目的によっては、ポケットが逆にスタイルを損なってしまう場合もあるしね。でも、ポケットがあることがスタンダードになっていく方がずっといい。0か100ではなく、グラデーションを許しながら、その中の濃淡をできるだけ理想的な方に近づけていくことを目指したい。
それから生活の中での行動には、場所のむずかしさだけではなく、移動のハードルや時間確保の融通が聞くかどうか、経済的に余裕があるか、周囲の人や一緒に暮らす人の理解など、実行を難しくする要因がさまざまありますよね。
ちょっと話の筋はずれてしまうんですが、中学時代からずっと映画について一緒に語っていた友人がつい数年前に子供を授かり、それ以来グッと飲みに行く回数が減りました。そして引きずられるように映画の話をする機会も減っていきました。彼の方が私よりもずっとずっと映画が好きでどっぷりなのに、今では私の方がよく観ているなんて本当に変な感じです。それまでは久しぶりに会って「あの映画良かったよね!」と話していたのが、「あの映画良かったよ。配信が始まったら観てみて」に変わっていく。決して奥さんから映画に行くのを止められているわけではなく、「むしろ奥さんも映画が大好きだからこそ、自分に空いた時間ができても後ろめたくて行けない」と言っていました。とても優しく、それでいて彼らしい心遣いを感じて、その日は大阪の安い酒場でいろんな感情が駆け巡ったことを覚えています。
一方の私は、いまだに独身で仕事の融通もある程度聞くし、自分の健康が損なわれない限り「明日どう?」という大学生みたいなメッセージにもほぼ即レスでOKと答えることができる。空いた穴をパッと埋められる便利なサーヴァントみたいだな、と個人的には結構納得しています。FGOでいう星1とか2なのにめっちゃNPチャージしてくれたり、盾になってくれたりする感じの、ね。あるいは、バレーボールのリベロのような感じかも。
そうそう。ばくさんの苦手なことの中にある「行動の切り替えが難しい」というのはなんでなんだろう。私の中にはあまりない感覚だったので、うまく想像ができなくてほうほうと声を出しながら読みました。心理学でいうところの「ペルソナ」を付け替えることの難しさとは違うのかな。
それと、私の中では「寝る」という行為は切り替えを伴うものではなかったので、(ばくさんにとってはあれって切り替えなんだ……)と大口を開けて感心していました。私にとって「起きる」とか「寝る」とかは「体の言うことに従う」という感覚の方が強かったりします。体が寝る or 起きるモードじゃないときは、体の動きをコントロールしながら脳をうまく騙して「体は寝るモードみたいですよ。ほら、あなたも休みましょうね〜」とその気にさせて誘導してます。体を大きく動かすと気が大きくなるのと同じ原理です。
But our question really was, do our nonverbals govern how we think and feel about ourselves?
(中略)
There's some evidence that they do. So, for example, we smile when we feel happy, but also, when we're forced to smile by holding a pen in our teeth like this, it makes us feel happy. So it goes both ways. When it comes to power, it also goes both ways. So when you feel powerful, you're more likely to do this, but it's also possible that when you pretend to be powerful, you are more likely to actually feel powerful.
引用元:『Your body language may shape who you are(ボディランゲージが人を作る)』エイミー・カディ
脳は司令塔のような顔をしているけれど結構簡単に体の動きに騙されてしまうので、その仕組みをうまく使って脳をハックするかんじですね。あれ、もしかしてこれが「行動の切り替え」なのかな?いや、ちょっと違うかな。
よければぜひ教えてください。
ちなみにばくさんが羨ましがっていた「執着OFFスイッチ」は完全に後天的なものです。どちらかというと生存戦略に近いと思う。これは自他境界を守り、他人に介入しすぎないようにするための私なりの手立てなんです。
私の母はとても気の利く人だったから、その背中を見て育った私は周りの空気を読んだり先回りすることにあまりにも慣れすぎてしまい、結果的にどんどん他人や周囲の行動を制御してしまうようになったんですよね。器用貧乏で大抵のことはそつなくこなせたことも拍車をかけていたと思う。なまじ幼い頃から体力・言葉・知力などほぼ全方位に力がある分、短期的に見ると相手を助ける、つまりよい結果につながっちゃって、自分の中で変な自信がついてしまったりもする。本当に言葉にするとヤバいね。最初のうちは「気が利くね」って喜ばれるんだけど、それは結局のところ支配の形へと歪んでいくし、今度は自分が他人をコントロールできなくなると苛立ちに変わってしまうのが本当にしんどくて精神的にひどく不健康でした。それはもちろん自分に対しても。
ケアや援助が、なぜ支配性を持ってしまうのか。これはパターナリズムという言葉を考えるとよくわかります。
パターナリズムは、ふたつの要素から成り立っています。それは「相手の意思と自分の意思が一緒であると思うこと」と、「自分の行為は善意と良識に従っていると思うこと」ですね。
引用元:『なぜ人は自分を責めてしまうのか』信田さよこ (2025)
だから、他人や周囲の環境、モノ、思いに対する執着をパチンと切って自分から切り離すことで、さまざまなものとの関わりをいつもほどほどに薄く保っています。つまり、私にとっては執着と気配りってコインの裏と表みたいにくっついてるんですよね。相手に寄り添う、理解しようとつとめる、求めているものを差し出す、自分を開いて相手に安心してもらう。そういったケアが世の中から無くなってしまうことは悲しいしそんな社会にしたい訳じゃないけど、誰かや何かに寄り添ったり手を差し伸べることは私にとってはたやすく支配へと移り変わる諸刃の剣でもある。そして、自分と他人が混ざり始めると、まるでジワジワ広がる蕁麻疹のように自分の暴力性に歯止めが効かなくなる。これは止めるのが本当に難しい。とても依存性が高いんです。
まるで狼男みたいに、私は暴力性に飲まれてしまう自分にいつも怯えていて、だから執着OFFスイッチをとても大事な自分の生存戦略として常に手のうちに握ってます。
ようやくここまでたどり着きました。前置きが長いよ!ばくさんからの質問のターンはここからです👇🏻
結論から言うと、一発当てたいことをいろいろ考えてみたものの、なかなかコレ!というものは見つかりませんでした。花粉症がなくなる特効薬作るとかそんなのも思いついたけど、わりとどうでも良くなってしまったので辞めた。特に欲しいものはないし、なにかやりたいこともなく、特に現時点で人生に不足していることがないんです。こんな傲慢なこと言っていいのかな。まぁでも事実だから仕方ないね。
むしろここまで欲がないのは、自分の身の回りの問題や生活、仕事についてはそもそも「自力で解決する」がデフォルトになっているせいかもしれません。
大人になってから、こういう私の「自分でなんとかしよう!」の精神は自分の経験に支えられているのだと本当によく理解するようになりました。もし私が小さい頃から「あんたになんか出来るわけない」と呪いのように言われ続けていたら、きっと「自分の力が及ばないもの」をもっとたくさん感じていたかも。本当にある壁と、無いはずなのに見える壁、というものがあるとすれば、私は無いはずなのに見える壁があまり見えないようです。
そして、いつも「自分はこの程度だな」といい意味で見限っているので、等身大の自分以上のものを求めることもほとんどなく、突飛な欲望は生まれにくいみたい。
またどうでもいい話に脱線しかけてしまった!
つまり何が言いたいかというと、私の願いが一つだけなんでも叶うのなら、なにも迷わずこの世の戦争の一切を止めます。休戦しているものも含めて、戦争を根絶させたいです。ただし、できるだけこれ以上苦痛を積み重ねない方法で。今この世界の中で願うことはこれ以外に浮かばなかった。自分の力ではどうにもできない、ひと一人の行動だけでは及ばない、それでも絶対に許してはいけない人類の蛮行をとにかく止めたいという心だけが毎日、体の中で炎のように燃えています。
人類がまだ埋葬していないものの代表は戦争である。その亡霊は白昼横行しているように見える。
(中略)
戦争と平和というが、両社は決して対照的概念ではない。前者は進行してゆく「過程」であり、平和はゆらぎを持つが「状態」である。一般に「過程」は理解しやすく、ヴィヴィッドな、あるいは論理的な語りになる。これに対して「状態」は多面的で、名づけがたく、語りにくく、つかみどころがない。
(中略)
戦争が大幅にエントロピーの増大を許すのに対して、平和は絶えずエネルギーを費やして負のエントロピー(ネゲントロピー)を注入して秩序を立て直しつづけなければならない。一般にエントロピーの低い状態、たとえば生体の秩序性はそのようにして維持されるものである。エントロピーの増大は死に至る過程である。秩序を維持するほうが格段に難しいのは、部屋を散らかすのと片付けるのとの違いである。戦争では散らかす「過程」が優勢である。戦争は男性の中の散らかす「子ども性」が水を得た魚のようになる。
引用元:『戦争と平和 ある観察』中井久夫 (2022)
同時に、この願望はきっとわたしが安全な場所にいて、自分の頭をうんと悩ませたりぐちゃぐちゃに掻き回したりするものに襲われず、日々の社会生活に余裕があるからなのだという認識も、深海に沈んでいる沈没船のように私の胸の深い場所にどっしりと在ります。でもそれは後ろめたさや罪悪感とかじゃなくて、できる時にできる人ができることをやるべきだと考えている、という意味合いが強いです。
ばくさんは知ってるかもしれないけど、私は今までずっと、小さい頃からすごく恵まれた環境で育ってきました。私の実力や努力など一切関係なく、ただ親や親族や、あるいは出会った人々に恵まれ、経済的にも社会的にも、そして政治的にもほとんどずっと満たされていて(あるいは自分の意思と異なるものを強制されない)、激しい渇望や苦悩にもあいませんでした。あ、いや、それは語弊があるかも。人並みに悩んだり苦しいことはあったんだけれど、それはあくまでも私の内面の話であって、外的な要因に左右されることがとても少なかった、というのが正しいかな。さまざまな場所でマジョリティだった、あるいは権威側に近い場所にいた、という感じ。あとは外環境を必要に応じて変えたり切り捨てることもできた。それは十分に力と呼んでいいものだと思いません?
誤解を恐れずにいうと、私は貧困というものを知らずに生きてきました。映画や本や、あるいはさまざまなメディアを通じて貧困を取り巻く問題やその状態について知っても、本質的にわかることはとても難しい。生活の中で感じる不快感や精神状態、あるいは思考のうつろい、社会の中で他者との比較にさらされて感じるもの、あるいはスタートダッシュが違うことが人生にもたらす影響の大きさなど。
とはいえ社会に出たばかりの頃は収入が本当に心許なくて、あまり余裕のある生活をできてはいませんでした。でも実家は太いのでサポートも手厚く、本物のぬるま湯(本物のぬるま湯ってなんだ?)の中で生きてきた。結局なにに困ることもなく、今ここまで来ています。
そんな中で少しずつ他人の支援を度外視した状態でも懐に余裕が出てきて、初めて自分の稼いだお金でブックサンタをしました。そのとき、ようやく張り詰めていた緊張感が少しだけ緩んだような心地がしたんだよね。自分のできる範囲で、自分が納得できるやり方で、自分の持っているものを少しずつ社会に分配していく。親や周囲の人々の恩恵に預かるのではなく、生まれて初めて自分の力でそれができたと実感できた瞬間でした。そして、これは決して無理を強いて行うのではなく、自分の懐に余裕があるときにやろう、とも。
昔は経験に基づかない頭でっかちなだけの自分がとても嫌いだったんですが、大人になってくるにつれて、私の血肉に直接染み込んでいくような実感を経て、全く同じ経験することはできなくても知ろうとすることを辞めない人でありたいと改めて思うようになりました。そして、私の場所から社会をより良い方向へ変えていくための行動をとろうと。偽善者ぽいと言われることもあるだろうとは思うけれど、私は本気であらゆる人の幸せを願っています。
一方で、そんなことを感じると同時に、安全な場所にいる人間が知りたいと言うことはとても強い傲慢さも孕んでいるとも思っています。この話はまた今度に。
あぁまた話が長くなっちゃった。
つまり何が言いたいかというと、私はやはり戦争を止めたいのです。それが今この地球にいる人々が総力をあげてやるべきことだと考えています。多くの人が傷と苦しみから立ち上がり築き上げてくれたこのやわく脆い平和を守り、戦争や侵略を肯定する言論や発信・メディアに加担せず、そして戦争を正当化する為政者にNOをつきつける。その行動がどうか結実して欲しい。
あぁもうだめだ。実は、今回のお手紙を書き始めるときにこっそりと目標を立てていたんです。一つは文字数を前回より増やさないこと。二つ目は格好つけすぎないこと。何度読み返しても、自分の文章がなんか物分りのいい人っぽすぎるのでは?と不安になるんだよね……。けど、どっちも達成できなかった。
往復書簡書くの本当に難しいね。なんだか自分の書きたいことばかり書いていると独りよがりな気もするし、でもこういう場所じゃないと言葉にしないこともあるので書きたいことが膨らむし。あぁダメだね、はやく手紙を閉じなきゃ。
この夏は大きな窓にタープを吊るしてなんとか暑さをしのいでいます。ばくさんも元気でいてね。ばくさんが一発あてたいこともぜひ聞かせてください。それから、気が向いたら海外で体験したおもしろいことも教えて欲しいよ。
そしてまだまだ往復書簡は終わりませんよ!(ね!)
2025年8月6日 核廃絶へ向けて OPさん