2025年6月16日 ばく

未完の調律
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公開:2025/6/16

 OPさん、こんばんは。

 先日は、早速のお返事をありがとうございました。少し間をあけてみよかな、と思いましたが、それでも十日程度でした。体内時計が早すぎませんか? 早すぎます。

 でもまあ、この往復書簡は、ゆるゆるしつつ、時に全力で走り抜けながら、進められるだろうな、という確信めいたものがあります。というのも、調律って、ギチギチに根詰めてやるものじゃあ、ないじゃないですか。それでいて、全くフリーに緊張感レスなものでもない。もう少し上か、下か、ここか、と探り合いながら寄り添っていく。なので、予想以上にこのタイトルは気に入っています。

 OPさんは既にご存知かもしれませんが、私は、いきなりパンイチで走りはじめたり、そうかと思えばいきなり帰宅して毛布にくるまって数日寝る、みたいな心の動きをよくしています。なので、OPさんはOPさんの、よしなのタイミングで、脱衣してくださいね(なんのお願い?)。

共感も距離感もうまく使いこなせない。だからこそこだわってしまうのだろう。なんとか組み合わせて、練習しながら上手になっていきたい。混ざり合った世界と分離した世界を同時に生きるように。言葉にならないものと言葉を重ねて一つにするように。 

引用元:『共感と距離感の練習』小沼理

 また、素敵な曲たちの紹介もありがとうございました。OPさんは耳あたりの専門医だったんですか? あまりにもぴったりの曲を処方していただき、私の耳と思考とその他音を受けとる脳の分野は救われました。曲調も、声も、とても好きで、いただいてから繰り返し聴いています。意識のあわいを辿れるような、ちょうどいい声色と音の連なりで、とても穏やかな気持ちになれます。 

 テストの話、誇張なく「ほえ~」と声を出しながら読みました。私はテストが嫌いというか、相性が悪いので、立ち向かうのにかなりのエネルギーを消費してしまって、全く得意じゃありません。緊張しいで小心者なのに完璧主義なところもあって、すっごく疲れるんです。受けてみれば(過ぎ去って見れば)大したことはないのですが、無いに越したことはない、と思っています。残念ながら、大人になってもテストや試験の機会がまあまああるので、その時は白目になりながら受けているんですよ。ゲームのように楽しめるOPさんの脳内を覗いてみたいし、隣で眺めてみたい。好き、って不思議。

 それと少し似ているのですが、数学も私の脳内にはほとんどありません。嫌い、というより、知らない、という感じです。知らない他国の言葉を眺めているような。なんとか単位はもらっていたはずなのですが、使わなくなって以来、もうすっかり抜け落ちました。ガッポリと。

 そんなことなので、なんだろう、「これは早速調律しがいのある感じだな!」と腕まくりしながらゴロゴロしていました。ええと、なんだっけ。“好き”についてですよね。

「今更ですけど、なんで妻鹿さんはバリをやってるんですか?」

 問いと一緒にステンカップを差し出した。

「面白いからだよ」

引用元:『バリ山行』松永K三蔵

 最近、私は自分の“好き”を信用できないでいます。

 推し活、わかる。漫画やアニメ、バンドやアイドルも、スポーツも釣りもそのた色んなものを推してきた。「推し」という単語を使わないで説明するなら、その時ある特定の対象に熱狂すること、は数多してきました。

 こと熱狂に限って話をすると、あれって、すごく気持ちがいい。その快楽の詳細は、昨今の推し活ブームを解説する記事とかで紹介されていますから、私の方での説明は割愛しますが、まあ、とにかく楽しいっていうか気持ちいい。

 でもいつからか、その自分の“好き”が、いったい何なのか、わからなくなった。推し活だけじゃなくて、ほんとうに、色々なものに対して。きっかけは一つだけじゃないけど、明確なものでもない。正義、免罪符、加害性、比較、競争、消費……キーワードとしては、こんなものが、あったかなあ。まずはじめに、自分と他者との間で摩擦される“好き”、が揺らいだんですね。

 そして、自分の“中だけにある好き”も揺らぎました。好きの周りには、いろんなものがある。昔は、「好き・嫌い」の二項で考えていたような気がするけど、今は「好き・嫌い」、「快・不快」、「愛・憎」、「得意・不得意」、くらいのベン図で考えている気がします。そう思うと、実は好きだと思っていたものが、たんに得意で快だったから、とか、嫌いだと思っていたものが不得意なだけ、とか、気づき始めたんですね。ああ、そのベン図に「体調の良し・悪し」も加わるかも。

 とにかく、私の中で“好き”は絶対ではなくなって、暴風で揉みくちゃになってから細切れになって手元に帰ってきました。 

 熱狂できる自分ではなくなって、さみしいところもあるけど、穏やかに、ささやかに、日々に溶け込むように好きなものを、転々といまは楽しんでいます。最近のマイリトルブームは野草探しと、その写真のファイリングです。

友達が聞いた話でって言われたんだけど、なんか物事の中には。

自分がcanなこととcan’tのことがあると。あ、間違えた、えっとcanなこととcan’t stopのことがある。つまりcanっていうのはできることね。自分がcan’t stopっていうのは、できる、できないにかかわらず止められないことね。

(中略)

でなんか私はね、あのまあ短歌でデビューしたんですけど、はい、短歌を作ることがどれくらいcan’t stopなのか、まだ自分にはわかんなくて。うん。自分の中でcan’t stopなのは、なんか人生の中で気づいたことや考えたことを世の中に発信するってことが多分can’t stopなんですよ。

引用元:『上坂あゆ美の私より先に丁寧に暮らすな』 #43 忘れられない教師の言葉ありますか

 熱狂と似て非なるものだけど、没頭してしまうことならあります。捨てようと思っても捨てられない悪癖に近いのかも。社会的に価値はないし認められないかもしれない、面と向かって「無駄だ」と言われたこともあるけど、自分にとってそれは少なくとも必要なこと。憎いと思うことも面倒くせえ~と思うこともある、でも、引きつけられるようにして進んでしまうことがあります。それは“好き”とは少し違うし“好き”に分類することも躊躇うものだけど、強いて言えば“好き”なのかもしれない。それは未だに、わかんない。未分類の“好き”とでもいいますか、そんなもの。 

 屁理屈多めのお便りになっちゃった。答えになってるかな?

 ええと、もらった質問に被るようで被らないけど、ほんとうに些細で書き残すか最後まで迷ったんだけど、私は地下鉄の通気口のにおいがなんとも好きです。地下駐車場や、倉庫、古いビルのエレベーターなどのにおいも、小さいころからなぜか好き。決して“快い”部類のものではないのに、不思議なものです。季節の始めに稼働したての冷房から吹き出る風の匂いも、こっそりと好んでいます。あまり賛同を得られないけど好きなものとして、もう一つ、のびきった麺、というものがあるのですが、それはまたいつかのタイミングでお話させてください。 

 今回は「好きなこと」についての質問だったから、ありきたりだけども次は、「苦手なこと・嫌いなこと」について聞いてみたい。けど、答えたくなかったら、最近食べた美味しいものと、もし自炊の良いレシピを教えてください。私は最近ゆで卵の浅漬けにハマっています。

 

2025年6月16日 本棚の整理の終わりがわからない

@enroute_tuning
ばくさんとOPさんの往復書簡