2025年6月4日 ばく

未完の調律
·
公開:2025/6/4

 OPさん、こんにちは。いま、わたしが住んでいるところでは、長いながい冬の反動のように春と初夏がまとめて駆け抜けています。やわらかい緑の若芽が木々の枝に並ぶと、その木立を抜けた光は黄金色となってまだ若い森を明るく照らします。紅葉や黄葉の進んだ秋の方が、その葉の色を通して光が明るく見えそうなものですが、秋は、もはやその後にそびえる長い冬の気配を孕み光彩が抑えられるのか、明るくともセピア色、といったふうに見受けられます。この土地の森がいっとう明るく眩いころ、こうして往復書簡を始められることを、心から嬉しく思います。

 さて、この往復書簡のタイトルは、『未完の調律』となりました。OPさんとわたしは、楽器を演奏していた経験がある、ということから想起された命名です。文章の交流から始まった関係が、実は音楽でも共通項があったこと、とても興味深いですね。

 わたしにとって音楽とは、切っても切れない腐れ縁であり、実家であり、そして三人目の親、のようなものです。一言でいうと、思い入れがある、ということですね。文字書き特有の、まどろっこしい書き方はこれからも続きます。そして、なんとなくですが、音楽に関する話から始めさせてください。

Was die Mode streng geteilt;

Alle Menschen werden Brüder,

時流が強く切り離したものを

すべての人々は兄弟となる。

 ——『An die Freude』 Johann Christoph Friedrich von Schiller,1803 

 わたしの人生の前半は音楽と共にありました。母が音楽学校の出身だったこともあって、幼いころからクラシック音楽の教室に通っていたのです。放課後、土日祝日、長期休暇も練習に充てられていました。もちろん年相応にゲームをしたり漫画を読んだり、そして適度にサボりもしていましたが、定期的にある発表会と試験を中心に、季節がめぐる生活でした。幸か不幸か、わたしは神童ではなかったので、特になにを目指すでもなく、スケールとエチュードに追いかけられ、有名な協奏曲の難解な楽譜にしがみつくように、日々は過ぎていきました。

 そして、やめました。当時、学校生活でも困難を抱えていて、せめて音楽だけはと続けていたのですが、限界を迎えるタイミングがあって、わたしは弓を置きました。すでに、燃え尽きていたんでしょうね。もったいない、ことも、申し訳ない、こともわかりながら、そうすることしかできなかったな、と今でも思います。こうして「わたしと楽器」の章には終止線が引かれるのでした。

 ただ、人生は続きますし、音楽との付き合いも続きます。これは本当に幸せなことに、楽器はやめても、音楽は好きでした。これまで聴かなかったものを聴こうと思い立ち、クラシック音楽という実家のようなジャンルから旅立って、ロックやブルース、ジャズ、などなどの近世から現代にかけた音楽を一通り聞き漁りました。刺激的でした。特に、ジャズを聴いたときには、蕩ける気分になったことを覚えています。「こんな弾き方が許されるんだ……なのに心地いい……不思議……」とかガチガチのソルフェージュ脳で考えていました。ちょっとワルで憧れの先輩と一緒に校舎裏で煙草吹かした(?)みたいな快感がありました。実際、そんなことをした経験はないのでまるっきり妄想です。

 ひと通り歴史の針が現代にまで辿り着いたころ、とあるジャズプレイヤーに出会います。レバノン出身でウード奏者のRabih Abou-Khalilです。衝撃でした。ジャズってだけで衝撃だったのに、伝統的な中東地域の響きが重なったその調べは、わたしを混乱の渦に叩き落としたのでした。Rabih Abou-Khalilの音楽に撃ち抜かれて、渦の底で、わたしはふと気づきます。至極当たり前のことだけれど、こうして各地に受け継がれてきたその土地ごとの音楽がある、ということに。

 クラシック音楽、と呼ばれるジャンルは、華美で、長い歴史を持ちながら、それでいて支配性の強い一種の権力的な側面を有しています。日本の音楽教育において、それは顕著だといえるでしょう。詳しい解説は専門家の方にお任せしたいのですが、簡単に言うなら黒船です。音楽というと、音楽室に飾ってある少し不気味な肖像画の人たちが作ったもの、だと教わります。でも、その肖像画代表のバッハが音楽の父となり呼称される前から、“音楽”は、そこかしこにあったのだ、という当たり前のことに、この頃、改めて気づいたのでした。

 それから、歴史をさかのぼり、山を越え海を渡り、色んな音楽をききました。古代ゲール語の歌、ホーメイ、ブルガリアン・ヴォイス、ケチャ、グレゴリオ聖歌、中南米高地の民謡、カルミナ・ブラーナ(原典版)、などなど。そこには色んな音があって、色んな声があって、そして色んな時が流れていました。

 人間は、いつから歌っていたのか、そして、どうして歌いだしたのか。もはやロマンの域を出ない平凡な問いですが、この世界じゅうにある音に耳を傾けると、ふとそう思うことがあります。

Virent prata hiemata

tersa rabie

florum data mundo grata

rident facie

solis radio

ninent albent rubent candent

veris ritus iura pandent

ortu vario

冬を越えた草原が青々と茂り、 

荒々しさを拭われて、 

花々が世界に贈られ、喜ばれ、 

その顔は笑みを浮かべている。 

太陽の光の中で 

きらめき、白く、赤く、輝き、 

春の儀式の掟が 

色とりどりの芽生えとともに示される。

——『Carmina Burana』より「Virent prata hiemata」作者不明,13C

 わたしたちは、どのような形であれ、「言葉」を扱いながら生きています。それは、発声器官に乗せれば音になり、多種多様な記号を用いて表せば文字になる。ある意味で、小説家をはじめとした紙面の「言葉」を扱う生業は、一種の音楽家、ないしは作曲家、に近しい面もあるかもしれません(もちろん、厳密に言えば全く異なる存在で、手法や表象、発展した歴史はそれぞれ大きく違います)。

 いま、ここで「音楽」と「言葉」を享受する自分の中では、それらはとても近くで、互いに共鳴しながら、内に広がるものとして存在しています。ただ、最近は、めっきりラジオやポッドキャストばかりの生活で、耳から入るものが「言葉」に偏っている傾向があります。久しぶりに音も入れたいと思い、最新のチャートランキングを開いたら耳あたり(食あたりの耳ver.)になりました。身体に負担の少ないお粥のような音楽を探しているところです。

 OPさんは最近、どんな音楽を聴いていますか? また、音楽や言葉に限らず、その分野のなかで改めて世界が広がった瞬間があったら、お聞きしたいです。

2025年6月4日 気候は良いけど今日は雨 ばくより

@enroute_tuning
ばくさんとOPさんの往復書簡