共感される言葉を書いてはいけないのだ そんなもの扱ってはいけないのだ という気持ちがある よ〜
完全に個人の生活から生まれていて その個人的さゆえに他人の理解の外にある、でも共感のちょっと隣にいる それくらいの音楽、絵、言葉、など あまりにも好ましすぎる
わからないからさみしいけど でもちょっとわかりそう、近そう、目を凝らせば見えそう それくらいの距離感、好ましすぎる
私たちは結局分かり合えないんだよね ←否定されたくなさすぎる
でもいつかわかりあう瞬間があるのかもしれないね ←信じたすぎる
でも、それってただの偶然だね ←覆されたくなさすぎる
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誰もわからない言葉で話しかけたすぎる
それってなあに?って聞くだけで全て始まるのに
でも別に、個々の幸せは個々の場所にあるらしい
それ全然さみしいですけど みんなわたしになってくれればいいのに…
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メディアコミュニケーション論 ←うるせ〜〜〜〜!!!!!!!!
↑うるさすぎちゃってた。どう考えても。
言語、絵、音楽、その他全てが コミュニケーションのもとに括られるのむかつきすぎる 全てが、伝達のための、道具として…
あのさあ、おこがまC とは思わんかね?(え?じゃあ逆はわきまL ってことですか?)
いや全然「一つの方向づけにすぎない」ことくらい分かりますがね!分かりますが!わかってっけど!!!あーーーー文句言わずにいられなさすぎるーーー
伝えることって、何 何ーーー?!?!?!
逃げ道をなくすことにしか思えませんけど。
誤読を防ぐことにしか思えませんけど。
それって、可能性の束縛ですけど。
剥き出しってそんなに そんなに不適切ですか?
剥き出しから何を拾うかは、コミュニケーションに入らない?
「間違い」が存在するの、何
正しさ、何…
なさすぎる、そんなもの この世に…
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どうしてみんなってわたしじゃないんだー