お正月の代表的なものといえば年賀状だが、年々この「年賀状」が苦手になりつつある。
私自身は、本当に親しい友人や、職場でお世話になった数人にしか出していないので、社会人らしからず片手で足りるほどしか書いていない。
その年の干支のイラストが大きめに書かれた年賀状を買い、わずかに空いたスペースに「今年もどうぞよろしくお願いいたします」と、年内に会えるのかどうかさえわからない遠方の友人に宛てて書き込む。
そのこと自体はまあ、若干の面倒くささもあるが、年末らしいひと手間ではあるし、相手から届けば嬉しいので構わない。
では何が苦手かというと、「母宛に届く年賀状」である。
私は両親と同居しているので、家に届いた年賀状の仕分けを手伝ったりする。
そうすると出るわ出るわ、もう十数年前に私が卒業した中学・高校、挙句の果てには小学校(!)の同級生の親(つまり母にとっては元ママ友)からの年賀状。
そこにはたいてい、近況報告として「うちの息子は昨年結婚しました」や「初孫が生まれました」などとあり、なかには「◯◯ちゃん(私のことである)は元気ですか? もうお嫁に行かれたのでしょうか?」などと書いてくる人もいる。
余計なお世話である。
というか、「お嫁に行く」という家父長制丸出しの表現そのものに吐き気がする。
日常生活ではもはや母とは関わりがないのに送ってくるなんて、近況報告と称し結局は自分の自慢話をしたいのではないのかと、性格の悪い私はつい勘ぐってしまう。
というのも、そういった報告に「離婚しました」「借金が膨らみました」というような悪いことは書いていないからである。(当たり前だが)
でも結局、ここで感じる不快感というのは、ほかならぬ私自身が他の同級生たちと同じような人生を歩まないと決めたことに、今も若干後ろめたさを感じているからかもしれない。
「中学の時同級生だった●●くん、結婚したみたいよ」
年賀状を眺める母に「ふーん、そうなんだ」と気がなさそうに返事をする。
気のなさそうな素振りをしつつも、少しだけ胸が苦しくなる。
わざわざ興味もない過去の人達の近況を口にする母は、一体何を考えているのだろうか。
結婚はおろか、恋人すら作ろうとしない娘に対する当てつけだろうか。
年賀状は、この国の「正しいあり方」を見せつけられるようで、ちょっと嫌だ。