本日1月25日は天神講、学問の神様として名高い菅原道真公の命日にちなみ、我が県では県民たちがこぞって焼きガレイを食べる日である。
例に漏れず、我が家の今晩のおかずも焼きガレイであった。
なぜか知らないが、我が県(特に北の地域)では正月から当分の間、天神さまこと道真公の描かれた掛け軸を飾る風習がある。さらに1月25日の天神講の日になると、その天神さまに焼きガレイをお供えし、我々はそのお相伴にあずかるのが恒例行事となっている。しかし、なぜ焼きガレイなのだろうか。
道真公の好物だったからという説は聞いたことがあるが、なんせ平安時代の人だ。文人だった道真公がカレイの旨さをたたえる漢詩や和歌を遺していたなら話は別だが、何らかの書物にはっきりと書かれていない限り本当のところは誰も知らない。
彼が活躍した京都でも、望郷の念を抱きつつ亡くなった福岡でもないこの地で、なぜ正月に菅原道真公を祀るようになり、さらには焼きガレイまで供えるようになったのだろうか。
一家でああでもないこうでもないと話していると、焼きガレイについては「土用の丑の日のうなぎ」や「バレンタインデーのチョコ」、「節分の恵方巻」のような、魚屋によるセールスプロモーションなんじゃないかという説が浮上した。
というのも、アラ還の母の記憶によると、確かに正月に掛け軸をかけるのは彼女の幼少期からやっていたが、その際焼きカレイを食べていた覚えはないというのだ。
つまり、焼きガレイを備えること自体は比較的新しい文化である可能性が出てきた。(母の記憶違いである可能性も否定できないけれど)
しかも、ネットによると天神講の焼きガレイに使われる魚、赤ガレイはちょうど今が旬だという。売るにはもってこいの時期だといえよう。
旬の魚を売りさばこうと、天神講にかこつけた魚屋が「天神さまの好物だった焼きガレイを供えて、学力向上にあやかろう」とプロモーションを打ったのではないか、というわけだ。
もし焼きガレイを供える風習が比較的最近のものだとしたら、祀られている当人の天神さま、道真公は「なんでいつもこの時期はカレイが供えられるのだろう?」と首をかしげているかもしれない。
毎年この時期になると、地元紙では季節の風物詩として魚屋に並ぶ焼きガレイを取り上げている。ある程度大衆化した風習じゃないと記事にならないだろうから、一体いつの時代からこの恒例行事が新聞に書かれるようになったのか、誰か一度アーカイブを漁って調査してみてくれないだろうか。