西の空に荒れてこわばった肌のように節くれの雲が筋状に何本も流れていった。群れて漂ってゆくセンチュウのようだった。
10月も終わりにさしかかる16時。日は衰えて力なく傾き、地上に最後の光とそれに隣り合う影とでいちじるしいコントラストを生んでいた。山のふもとの川辺ではすでに拭うことがかなわない青い陰が、染め物のようにしみ込んでいた。そこだけ静かで、生きているひとや動くものはいないように見えた。
aikoのデビュー4枚目のアルバム「秋 そばにいるよ」は2002年発売。かのじょが25歳から26歳のうちに作られた曲がほとんどだと思うが、詞においてどれも奇妙に達観したような、言葉選びや着想において一筋縄ではないうならせる曲ばかりで、聴きごたえがある。
奇妙なといったのはまだ若いころに不釣り合いな、といった意味で、特にaikoはデビューからずっと恋愛に情熱をかたむける一途な心情を歌う、見ようによってはピュアな永遠の少女のような心性を持っているから、それがすこし逸れてしまったような、別の世界――それは常識や自然、人間の立ち位置すべてが異なる世界で――のaiko、という観がある。ヒューマンスケールをはるかに超えた、平均150年を生きる植物のなかでは若輩の、若々しい大樹、ともいうか。
アルバムのはじまり、1曲目の「マント」から5曲目「鳩になりたい」までがとにかく圧巻で、非常に分厚い地層を駆け足で見てゆくような気になる。
―見上げた空を 黄色く塗って あるはずないものを創り出せばいい
「マント」
―あたしの生きてきた何十年 あなたにとってみればあっという間
「陽と陰」
aikoは現実否定とまでは言わないまでも、見えている世界を上書きするような、現実にあるものの取り合わせや遠近法のゆがみで新鮮に見せる世界をことばで描いてきた。その創作の秘訣が前者の「マント」なのかもしれない。また、その裏側とも言うべき手法を2021年の「青空」でこっそり明かしている。
―本当は涙で見えないただの空
「青空」
そうして描くのは理想の世界だけではなくて、自分に似せた登場人物である。あたかも絵を描くように、かのじょは少女を、または青年をそこに持ってくる。かれらはみな足りないものがあって、あがいてみたり後悔してみせたりする、ちっぽけな人間である。かれらとaikoは心情において間違いなくつながっていながら、歌詞の世界、物語ではどこか突き放されている。「対象化」、これをできる人間はじつはなかなかいない。後者の「陽と陰」はそれをつきつめて、人物はこの世界とはちがうところにいる気がする。そうしたちょっとズレたピントの世界を主観でつづったのがこの曲や、「キラキラ」である。
―羽が生えたことも 深爪したことも シルバーリングが黒くなったこと 帰ってきたら話すね
「キラキラ」
この「秋 そばにいるよ」から続く2作「暁のラブレター」「夢の中のまっすぐな道」を経るなかで、aikoはずっとこねている。こねこねと詞や曲を混ぜたり伸ばしたりひっぱったりして、つまりは同じ素材なのだが、それを発酵させ、焼き上げたあとにやっと「aikoらしさ」のような祖型ができた、そんな気がする。それもじきに打ち破られてしまうのだが。