物作りは民主主義ではうまくいかない

erukiti
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どういう類いのものでも物作りは民主主義ではうまくいかない。バランス感覚は必要だが、ある種の独裁的なやり方じゃないとうまくいかない。

これは結局のところ、どういう種類にせよ物作りというのは官僚的で民主的で多数決なやり方だと、誰も責任を取らず、誰もリスクを取らず、無難なものしか生まれない。

ゲームでも漫画でも、事業開発でも、何かしらコアを持った人が独善的に独裁的に「他の人がなんと言おうと、俺はこれをいいと思ってるんだ」という熱い情熱がないと成立しないことがほとんどだ。

それはそれとして、ユーザーの立場で民主主義に持ち込もうとする事例がある。

素人が「こうした方がいい」とかをフィードバックするのは、そのゲーム(に限らず、あらゆる創作)における死への近道だ。

それはなぜか?漫画を考えてみよう。ある漫画をよりよくするアイデアを思いついた!最高のアイデアだ。作者に投げてみよう。「あれ?作者から返信も来ないな」じゃぁ、SNSで公開してみよう。バズればきっとこの素晴らしいアイデアを採用してくれるはずだ。

残念ながらそうはならない。

まず多くの場合、素人が考えたことは、既にプロなら考えている。考えた上で却下しているのだ。ブルーオーシャンに見えるものの大半は「考えた上でそれがクソだからブルーオーシャンに見えているだけのただの死んだ海」なのだ。本当にうまくいくブルーオーシャンは限られている。

仮に素晴らしかったとする。その場合、作者にとってはとてもリスクになる。「アイデアの原作者として、訴訟を起こしてくるリスク」「アイデアの原作者として、今後の作品に口だしをされるリスク」があるものを採用できるか?作者にとってその素晴らしいアイデアを思いついた人がどんな人なのかわかりっっこない。仮に友人・知人だとすれば「友人関係が壊れるリスク」を危惧しなければいけない。

OK。仮にこれらが杞憂だったとしよう。その場合、作者が喜んでそれを採用したいと思うか?作者によっては読者に委ねたいときもある。実際に「このキャラについて読者からの応募をお待ちしてますね」みたいなケースはまぁ割とある。そういう時は多分問題ないだろう。作者があらかじめ受け入れる準備をしているからだ。

でも、そうじゃないケースがほとんどだ。作者は自分の人生をかけて、プロとしてのプライドを持って、魂を込めている。普通の人が考えるよりも遙か多くの事を考え、遙か多くの時間をつぎ込んで、それを作り上げている。自分よりも優れた素晴らしいアイデアを見て、果たしてそんな作者は心穏やかでいられるだろうか?

マグマのような暗く熱い怒りが沸き起こらないという保証はない。

ファンがすべきことは、事実や感想のみを伝えることだ。「こうすればいい」という上から目線をぶつけるのではなく、どう思ったか、感じたか、どういう体験だったか、そういった事をファンとしてぶつけるべきなのだ。

作品を潰す簡単な方法は「先回りをしつづけること」だ。言ってみれば、それはある種のネタバレや、先の展開を潰すことなのだ。そう考えると、ファンの安直な「こうした方がいい」がどれほど罪深い行いなのか、分かりやすいのではないだろうか。

@erukiti
AIえんじにゃー