対談がなぜ好きなのか

えす
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『Web Designing 6月号』を読んですぐに書き残したくなったので書く。

2つの対談

・脳の限界と言語の限界 それでも人は言語を使う

・「意味の連鎖」の網の目に スケッチと言葉で思考を捉える

が特によかったなぁと感じた。

なんでかな?と考えたところ

どうやら対談インタビューを読むとき、自分も一緒にその場へいるかのように想像しながら読み進められているようだと気が付いた。

そしてその体験が「面白い」し「好き」なんだな。

博識で第一線で活躍されている方とお話できる機会など到底ないが、こういった対談インタビューでは疑似的にそれを体感できる。

読み進めながら、「へぇ~」「分かる~」「そうだったのか~」などのエア相槌をしている。この姿は日常での会話で、自分以外の人の会話が弾んでいるときのリアクションと同じだなと。

日常での会話では2~3人での会話が一番心地よく、4~5人あたりからは周りの発言量に応じて自分の発言量を変える。8~10人くらいになると情報をききとりきるだけで精一杯になってくる。(私は)

今回読んだ対談はどちらもお二人ずつだったから、すごい方のお話を聞きながらお茶しているような・・・そんな最高の体験気分だったんだなという結論になった。

先の理由により、対談なら何でも好きというわけでもなく、過去を思い返すと4人以上登場する対談はほとんど読み飛ばしていたことにも気が付いた。軽く読んだかもしれないけど特定の記事を思い出せない。

デザイナー対談ではあまり見ないけど、音楽アーティストグループなら5~6人のインタビューは全然珍しくない。と思う。たぶん、自分が好きなグループ以外は読んでなかった気がするなぁ。

「対談」が好きなのは記事だけじゃなくて、ラジオやトークテレビも好きで。そこでも2~3人が一番心地よいと気づいた。「僕らの時代」とか。「グータンヌーボ」は冒頭あいさつが4人の時間はぼんやり観ていたけど、本編で3人になるとぐっとのめり込んで観ていた。

そんな気づきが、いつ何に役立つかは不明だけど、『Web Designing 6月号』を読んで「どんな微かな声だとしても、すでに誰かが触れて言語化が完了している話題だとしても、言語化していいんだ」って思えたので記録。

以上「対談」に対しての感想でした。

@es
まったりWEBのひと。服を売るのがうまい。