なにか一言でも言ったらダメなんだろうな、という話題を今日も大人の社会性で右から左にスルーしていますこんにちは。あらゆる意味で立場表明したら負けだと思ってる。全部ひととおり終わってからドヤ顔でコメントとかしようと思うよ、「××をふりかえる」とかタイトルつけて。
たぶん気づいてると思うけど僕は子供の頃「明日世界が滅亡しないかな」っていつも思ってるクソガキだったし、ルサンチマンを拗らせてるからイキった連中の破滅と混乱と自滅は割と楽しい人種だし、当時のピュアな子供心を忘れてないタイプだよ。みんなしねばいいのに。一応の社会性で表面には出さないようにできるようになっただけで本質的には何も変わってないからな。「お前も社会が崩壊したら困るだろ」っていうのはそうなんだけど、それはそれで両立するんよ。「対岸から無責任に見てるだけ」なんだから。池に落ちた犬を見ても一緒になって棒で叩きにいかないだけの理性があるだけだよ。愉悦。
感想とレビューと「おいしかったです」
とりあえず下品な話は置いといて。
せやなー。それなー。ってなったポスト。
Xユーザーのツミレ草/シソステ上方67さん: 「たまに好きフォロワーに感想投げたいってなるけど大体これ https://t.co/wsiZGcomiL」 / X (twitter.com)
長文感想難しい。わかる。
ちなこれ貰う目線だとこんなこと気にしなくても全然嬉しい!ってなれるけど送る側になる途端クッソ葛藤するやつです
https://twitter.com/sktrl6_6/status/1764259968516252140
語彙力っていうのは難しそうな言葉を沢山使うことよりも伝わる言葉を適切に伝えられることのが大切だとは思ってるんですが、それはそれとして同じような言葉が多すぎると単に書いてる自分としてのエゴ人格がなんかヤッ!ってなるんたよな……
https://twitter.com/sktrl6_6/status/1764408210201739379
あとね〜後半が出ないこともそうなんだけど、前半部分がなまじ連ねまくったくせに後であっここ拾い損ねてた!ってなりたくないから(記名で送れる関係と環境だと尚更)でっかい網持って海を潜るくらいの気概がいる、ちゃんと向き合って感想送りたいなるとき
https://twitter.com/sktrl6_6/status/1764475474749845988
書き込み感想やトレペ本とかが忌避される側の理由自体は各々めちゃわかるけど、それはそれとして直接指差してここ!!ここ!!ここォ!!!!!みたいなのを具体的にやりたいって気持ちはめちゃくちゃある フォーム内の文章で自分の言葉で言ったり引用しようとするとなんかその勢いが削がれることある
https://twitter.com/sktrl6_6/status/1764476713436909883
上でも言ってるけど、私が自分を悔やむときに言う「語彙力がない」は仰々しい言葉で飾れないこととかではなく、これ好きを表すのに一番適切な言葉が思いつかない、ないしは広義のしか浮かばず他と重複し自分でなんか見栄えがヤダ!ってなってるんだよな、前者はともかく後者は完全に自分の納得の問題
めっちゃわかる。どう構成するかも悩む。語彙力消失的な表現は濫用したくない。使ったら負けな気がする。
ちなみに自分、「感想おしえてください」って言われると結構困ったりするのよな。たぶん言われるような感情がないので。言ってる方はそういう意味ではないんだろうけど。
娯楽作品を読んでても、私個人の喜怒哀楽はほとんど動かない。面白い、はある。ただ、主人公と一緒になって怒ったり笑ったり泣いたり、というのはほぼない。まあ例外はある。
これとかガチ泣きしたし/するし。⇒おでん屋春子シリーズ (syosetu.com)
個人的には「感想文」というのは心証を書くものだと思っているので、「感想ください」だけだと「おいしかったです」くらいしか出せない。全然情報量がない。「そういうのと違う」と言われても、そもそもの訊き方が悪い。どの観点で何を話せばいいのかがわからない。どこについての何の話をしてほしいのか指定してくれ。
・・まあガチ泣きするような作品はさておき、普通に読んでる場合でも「ああ面白いなあ」と思ってはいるのだ。「イイ!」とかも感じている。だいたい私の文章や文芸作品への心証は味覚嗅覚の方に引きずられているので「美味しかったです、ごちそうさまでした」という感想になる。ここまでの人生で一番こだわって構築してきた感応概念の体系が食をベースにしたものだからしょうがない。
もし料理について「いかがでしたか?」もしくは「ご満足いただけましたか?」と問われて、賞賛の気持ちを伝えるのであれば・・そう例えば、「特に出汁が素晴らしかったです、臭みとえぐみの出ない温度管理、アクの取り除き方、炙った骨、香味野菜とキノコ類のうま味のバランスのとり方がすばらしい」とか、「食材の選択にセンスを感じる。鰆とあわせた芹が旬を感じさせるとともに彩りも良く、春の時期にふさわしい」とか。
あるいは食レポならどうだろう。「じっくり高温で仕上げた羊肉は表面と脂身はしっかり中はしっとりの焼きあがりで、つけあわせに揚げ焼きにされたローズマリーと小ぶりのじゃが芋のカリカリとした食感もあわせて心躍る愉快な体験でした。フルールドセルとタスマニア産粒マスタードの組合せも非常に好ましいですが、マスタードはマイユの酸味とあわせても新しい魅力が生まれるかと思います」とか「蕪のムースは葉と実の部分を完全に別にして調理しつつ、サーブする段階でグラスの中に層として再構築する手法で、蕪という食材に対する新しい解釈を感じさせてくれました。フュメドポワッソンのジュレには懐石っぽさがありますね」とかになる。急に語彙が増えたなこいつ。
料理の話で言うと、私の表現・評価は食材の選択、素材の見極め、組合せ、相性、加工方法の選択、手技と技法、調理の結果として生まれた味、香り、食感、のど越し、温度、一品と一皿とコース、諸々を総合した体感、さらに場のコンテキストとナラティブ(物語性)を加えることによって生まれる体験、あるいは別の選択肢による可能性、といったものを軸にしている。提供スピードも大事な要素だ。サーブが早ければいいというものでもないが、待たされすぎるのは良くない。タイミングは重要だ。
「旬」や「季節感」といったものは強力なコンテキストであり、ナラティブ(物語性)を生む。菜の花にハマグリは桃の節句だし、菊に満月の見立てなら重陽の節句だ。月見バーガーはマクドナルドにすらある。
さて、創作物・・だとちょっと主語が大きすぎるので、「なろう系で書かれたもの」について、私の「読み手としての軸」の話でもしてみようか。
私がWeb系小説を評価する場合は、ジャンルと素材の選択、取り扱うネタに関する解像度、作劇としてのプロットとストーリー展開、ギミック・トリック・オチ、キャラクター性と配役、人物造形とその解釈、筆力、勢いとノリ、各種場面の描写力、一話文字数と完結までの総文字数、更新速度、あたりを軸にしている。これらは「あれば良い」という話ではない。「やらない」「いらない」という引き算の選択も重要なファクターだ。オチのないショートショートはショートショートではないが、純文学か私小説なら普通だろう。キャラクター重視の二次創作かスピンオフなら場面描写と内面描写だけでストーリー不要の選択肢もありだ。恋愛モノなら「そして二人は幸せになりました(※ただし世界は遠からず滅亡する)」でもいい。たぶんジャンル的にはそれもハピエンだ。
特に小説に関しては、私はナラティブを求めたくないと思っている。私の考えるナラティブとは「物語性」である。これは文字によらない創作物やコミュニケーションにおける「本歌取り」のようなものであって、物語なら物語としてちゃんと自分の中で完結していてほしい。「ストーリー」があるものに「ナラティブ」はいらない。ナラティブの話は深堀していくと長くなりそうだからここまで。
だいたいこういったあたりを軸にしてはいるが、まだ十分ではないな、というのが肌感としてはある。最初の話に戻ると、自分にとって感想を伝えるための語彙が「足りねえ!!足りてねえ!!」ってなるのは自分の概念化と概念の深化と体系化が不十分だからで、一言で言えば内面でcrystallizeできてないから。なので他人から見たときにどれくらい言葉が出せてるかとかは関係ない。「俺が表現したいものが表現しきれてない」んだよ。「でもできてるじゃん」じゃないんだよ。