寝かしておいてもネタとして昇華できる気がしないので吐きだしてしまおう。
たまにあるクラスタに属する人間の思考や価値観がうっかり理解「できてしまう」瞬間がある。
分析として意識してやっているときはまだ大丈夫なのだが、「うっかり」の場合は事故に近いので滅茶苦茶に気持ち悪い。
例えていうなら、「ああ、なんかいるな」くらいの距離感で他人の家のブロック塀の側面にとまってるやつを眺めるとか、「よーし今からこいつを観察するぞ」と思って虫眼鏡を覗く時と、「ああ、今日もいい天気だ」みたいな気分でぼけーっとしてるときに天井から「ぱたり。」みたいなノリで足のたくさんあるやつが落っこちてくるとか、「ひと風呂浴びるか」みたいな時に風呂場の床でぬめぬめしてるやつを素足で踏んづけたりとかするのはやっぱり違うのだ。
『あなたに似た人』
ええっと何の話だっけ。ああ、そうだ、人間の話だ。ゲジゲジとかナメクジの話のほうが盛り上がりそうだが、今日は人間の話をするんだ。
あそこの家備蓄があるからなんかあったらみんなで押しかけようという話をしている町内会を一つ知ってる。もはや山賊であるけど、自分のお金かけずに対策する賢いやり方だと本人たちはおもってる。
こんなポストが流れてきた。
地域の資源を有効に活用というのはそういうことではない。危機管理は人道に反するような振る舞いを正当化するわけではない。
そう、まったく正当化されない。本当にそう。そして今回、この「押しかけようとしている町内会の人々」の思考が「うっかり」理解できてしまった。吐きそう。
普段仕事で、あるいは必要に応じて、人物分析をしているときはモードが違うので比較的大丈夫なのだが、今回不意打ちだったので拒否反応がきつかった。たぶんリンク踏んだらうっかりぼかしなしのグロ死体画像見ちゃったくらいの感覚だと思う。
何がどう理解できちゃったのか、も書き留めておこうか。
便宜上、「町内会の人たち」と「備蓄してるAさん」としよう。
たぶんだが、町内会の人たちにAさんへの悪意はない。害意もない。好き嫌いで言って嫌いですらない。は??と思われるかもしれないが、悪意や害意があるならまだマシだ。
代わりに村意識がある。
意識的には、「駅でトイレ済ませよう」か「ファーストフードでトイレ借りよう」くらいの感覚か、「公園の水場でお水汲めばいいじゃん」もしくは、「倉庫に積んであるからあれ使えば」くらいの意識。
おそらく町内会の人間に、それは個人の財産権を侵害している、という意識はない。物権の理解もない。権利の主体の粒度と境界が「個人」ではなく「共同体」に置かれているか、もしくは認識されていない。
ふとしたはずみで顔を出す「ムラ」や「イエ」的なものが、権利の主体たる単位と社会による保証というのは実はそんなにがっちりとしたものではないよ、と私に告げており、「お前もそうだったかもしれないし、そうありえた可能性は否定しきれない」という思考が気持ちの悪さを加速する。
この話、どこかの町内会だから意味不明なだけで、東京でだって同じ会社内でなら他の部署の備品を勝手に持って行っちゃう奴はざらにいるのだ。備品シール貼ってあるだろてめえ。あと自宅に持って帰っちゃうやつもいる。横領か窃盗だ。
あるいは関係性が家族だったら?「妹ちゃんのやつ使えばいいじゃない」「なんで私の勝手に使うの!」「だっていっぱいあるでしょう」・・・ほらね、ありそうでしょう。
この話が自分と関係なくはるか遠くの因習村の話ではない、というのが最高に気持ち悪い。
ああ、最後にもう一つだけ。
「あの内容」の短編集に『あなたに似た人』ってタイトルをつけたロアルド・ダール、最高に悪趣味だと思う。