走り書き程度にかきとめておくんですが。
自然言語は思考に必要か、という話と概念を記号化しないと量のある情報が長期保持できないという話は別であると思うのだ。犬は会えない人を覚えているし、かぶと虫の香りの概念がワインの語彙に加わったのは記録があるくらいに最近だが、夏の思い出にそれを思い出す人はそれより前からいた。
https://twitter.com/twilight_memory/status/1784616630468919386
この話↑の補足。
小3女子かのちゃん「心の中で考える時、言葉を使うけれど、言葉がなかった時はどうやって考えていたんですか?」
これだから子ども科学電話相談は侮れない。
という話がまず流れてきて、
ラジオ聴いてみた。
公立諏訪東京理科大の篠原菊紀教授の回答は、言葉を持たない動物や赤ちゃんの脳の動きから察するに映像や感情などの感覚で考えているのではないか。ただし、何を持もって「考える」次第だが、やはり言葉がなければ高度な思考はできないとのことだった。
・・・という話で、
過去や未来に関する言葉を持たない部族で家族が死んだ時、2〜3日は悲しむけど数ヶ月後にはほとんど忘れてるという話を思い出した。言葉で考えることができないと記憶が保持定着できず、「何か温かいものがいた気がする」みたいな感覚になるのかな。「いた」も過去形だからどう表現すればいいんだ…
・・・ということだったのですが。
割とこの話題も定期的にループしてる気がするので書き留めておくのですが、思考に自然言語は必須ではない、です。
抽象度の高い思考には概念化のための記号系は必要です。どっかでワーキングメモリが足りなくなるので、情報を圧縮して永続化する仕組みが必要になる。
この議論がややこしくなる原因だと思うのですが、だいたいのみなさんは母語に習熟する前にご自分がどうやって思考していたのか覚えていらっしゃらない。
「抽象度の高い思考を扱える記号系が母語しかない」というのは、「思考には自然言語が必須だ」というのと等価ではない。「お前が母語しか扱えないからといってそれが思考に必須ということにはならない」というのは割と明らかだと思いますが、この「母語」の部分を「ことば」に置き換えた瞬間になんかよくわからないロジックになる人たちがいて、かつ割と多い。
「私は日本語で思考している」と、「私は思考に日本語が必要」と、「思考には日本語が必要なので、日本語がわからない英語話者は思考していない」という文を並べればロジックのおかしさがわかるでしょうか。少なくとも3つ目は明らかにおかしいね、という程度の話にはまず合意がほしい。
「抽象度と複雑度が上がった思考をメモリに載せきるためには高度な概念化を扱える記号系が必要、なぜなら人間の脳はpoorだから」というのは真であるとして、なんでそのための記号系がただちに自然言語と等価になるんですかね。
だいたい自然言語というやつは、社会的な伝達性を保持するために音への変換性と視覚情報への変換性をある程度担保しなくてはならず、歴史的な後方互換も意識しなくてはならずで、その意味で非常に無駄が多いです。「書き言葉」と「話し言葉」は本質的には別の記号系です。
音声言語に変換困難な、かつ抽象度の高い概念を扱う記号系の例としてわかりやすいのは数式とグラフでしょうか。グラフは発話できないと思うよ。非ユークリッド平面とか。
繰り返しますが思考に自然言語が必要というのは思い込みです。たまたま母語が最初に導入される記号系で習熟度が総じて高いので、概念操作のためによく用いられるだけです。十分に習熟さえすれば、人工言語でも思考可能ですし、数式も化学式も人工の記号系の一種です。
まだ文字にひっぱられている?
言語を深化させるために言語を使ってるのでよくわからなくなってるんだと思いますが、プログラミング言語には「Rubyで実装したRuby」とか「C言語で書かれたCコンパイラ」とかいうものが存在しています。「Rubyで実装したRuby」の存在を見て、「Rubyを実装するためにはRubyが必要なんだ」とはならないでしょうよ。
派生して言語学とか文法研究史とかそういう辺りでいろいろぶつぶつ言えそうな話ではあるんですがあんまり思い出したくないので端折ります。生成文法は滅びてくれてよかったよ。