ちょっと生煮え気味のネタですが書いてしまおう。
こんなポストが流れてきたんですよ。
文化伝搬の話だと、日本から出土した「意味不明な漢字っぽいものが刻まれている銅鏡」ってのが好きでして、どうやら中国の銅鏡をコピーして作ったものの、作り手は字を読めなかったようで、刻まれている文字をただの模様と考えていたらしい。っての。なのでそれっぽい模様でしかないという。
オリジナルの銅鏡のデザインをなるべく再現しようとしたんだけど文字の部分があやしい、現代のコピー品でもあるあるのやつ。
>意味不明な漢字っぽいもの
幕末、海外へ輸出された浮世絵を見た西洋の画家たちが見様見真似で書いた漢字っぽいなにかを思い出しました
歴史は繰り返すのですね
https://twitter.com/yukikaze19991/status/1748549943852490837
ジャポニズムやシノワズリの作品のオリジナルとの対比も面白いんですけどね。マイセンのブルーウィローとか。初期のやつは「かなり頑張ってるんだけどデッサンが狂ってて童子の顔が残念」とか、「飛脚とか人足が着物なんだけど靴履いてる(草鞋じゃない)」とか、「惜しい」みたいなやつが多いんですが、時代が下ると絵柄がこなれてきて「ついにデザインを我が物となさったか・・」みたいな感じになってくるの。遥か大昔、清里の北澤美術館の展示を見ながらそんな話をした記憶があります。フランス語学の教授に「西洋絵画に雨の表現はなかった(油彩だから晴天で時間かけないと描けない)ので、荒天を絵にするという概念が斬新だった」「アールヌーヴォーのガラスはすごい値段ついてるが昔は田舎の納屋に転がってたもんだった」みたいな話をずっとしてもらった思い出。大学のリトリート(入学直後に行く修学旅行みたいなもの)というやつで清里の北澤美術館に行った時でした。あれは贅沢だった。この話はまた別で書くかも。
なんでこんな話掘り出そうと思ったか、というと、「生成AIは文字が苦手だから、AI絵かどうかは文字で見分けられる」という話と絡めて思い出したので。
「AIは手を描くのが苦手」とか「パースをとるのが苦手」とか。あれ、人間でも苦手なんですよね。「見えたものを画像に落としこむ」だけだと、構造理解の情報がないからそうなる。文字についても、「模様ではなく情報を包含している」っていう理解がないと、そうなる。美術史を紐解くとわかる気がするんですが、デッサンとかクロッキーやスケッチ、解剖学的な理解、空気遠近法や消失遠近法という表現方法の開発やデッサンスケール(デスケル)の利用とか、色々やってきた結果、天賦の才ではなく訓練によって習得可能な技術や技法として体系化してきた積み上げが、今としてある。
AI絵とクリエイターの関係性について是か非かとか、心情的にどう、とかはいったん置いておいて。たぶん、将来的には学習できるんだろうな、という予感はあります。過去に天才の異能だった技を凡人でも習得できる技法としての落とし込みに成功したということは、たぶん学習可能を意味する、ということだと思う。