「秘密の花園」フランシス・ホジソン・バーネット/訳・猪熊葉子
はじまり
癇癪持ちで、暴力的で、ひねくれていて、不健康で、”つむじまがり”と呼ばれる、愛情を知らない女の子。親に関心を持たれず、大人たちに見放され、友もなく、召使を罵り叩く子供。メリー・レノックスは今まで自分が読んできた絵本や絵入りものがたりに出てきた誰にも似ていなかった。かわりに、天啓のように思ったのは、とてもこの子は私に似ている、ということだった。
いったいどうして、そう思ったのだろう。そのころ、私は基本的には内向的で大人しい子供で、どちらかといえば周囲や下級生の面倒を見る側に回ることも多かった。親をはじめとする周囲から蔑ろにされたと感じたことも、否定されたこともおよそなかったというのに。けれど、同時にどうにもならないほど荒くれた、捩れたものが自分の中にあることを、私は「知って」いた。手や足がすぐ出たのはほんとうだ……気が短いことを知りながら直せもせず、自分はどうしようもなく悪い子だ、きっといつそっぽを向かれてもおかしくはない、もう向かれているかもしれない、という自己認識はすでに、5歳の私の心に根を張り、抜けなくなっていた。強迫観念、だっただろうか。今の私ならばきっと、望ましく在ることができなかった、などと表現するだろう。だが、こうした感情と己を表現するだけの言葉を、私はまだとうてい形にすることができなかったし、それを友人なり親なり誰かに話そうという気持ち自体をまるで持たなかった。何故、というのは今でもわからない。その卑屈を理解されたくなかった矜持なのか、そもそもわかられるはずがないという諦めか、余計な心配をかけたくない気遣い、あるいは単に面倒事を避けたかったか、それらしい理由づけをひねり出すことはできる。けれどそのどれでもない、とだけは思う。選択でもなかった。屈託を話さないことにした当時の私の心中はおそらく不思議と無色透明で、「そのようにあるどうしようもない子供」をしずかに、自分の中に匿い続けていた。恐怖とも絶望ともまた違う、ああ私はこうなのだ、という微かな痛みをおのれの真実として感じていた。この感覚を抱えているのが自分だけなのか、そうでないのか、そうだとすれば何だというのか、なにひとつ分からないままに。それほど、私は幼かった。
気むずかしかったり、おこりっぽかったりするのは、ひとつにはさびしいせいだということが、これまでメリーにはわかっていませんでした。コマドリが自分を見つめたり、自分もコマドリを見ているうちに、メリーにはそれがわかりかけてきたようでした。(p60)
メリーと出会ったのは、出口を持たないもやもやした思いが膨れていた、そのさなかだ。最初に述べたように、彼女はとんでもない、”どうしようもない子供”だった。私より年上であるにも関わらず、彼女にはどうやらそんな己であることへの自覚はなく、それゆえに己への煩悶もさほどないらしかったけれど、私はメリーにかつてない好意と親しみを覚えていた。私のように短気で、性格が悪い。そう、そして彼女はそれでも、こんなにも面白そうなこの物語の主人公なのだ。つまりこの私も、どうやら主人公という特別なものになれるということではないか。こうした飛躍した論理をもって、私は新鮮な高揚とともに、記念すべき人生最初の1冊を読み始めた(どこに行くときもリュックサックに入れて後生大事に抱えていたと、母は記憶しているそうだ)。自分と同類のこどもを物語の中に見出すという体験を、私はいきなり獲得したのだった。それは晴れ晴れと、嬉しい心地だった。
再生と恢復、それから
植民地支配下のインドで育ち、コレラで両親を失ったメリーは、英国ヨークシャーの叔父の屋敷に引き取られる。屋敷で生活する中で閉ざされた庭を見つけた彼女は、傍付きの女中マーサの弟で闊達な少年・ディッコンと、病弱で癇症な従兄弟の少年・コリンと共に、その庭を蘇らせようと試みる。そして、庭の再生とともに、メリー(とコリン)もまた、恢復し健やかに成長してゆく……。この物語に惹きつけられたのはまた、ディテールの鮮やかさ、細やかさゆえでもある。ひとが死に絶えた屋敷で床を這う、宝石のような瞳の小蛇。馬車が駆けてゆく外の、嵐が轟く海のような荒野。冬枯れた庭の鮮やかな赤いコマドリ。搾りたての温かな牛乳と干し葡萄のパン、地面に穴を掘って蒸し焼きにする、ジャガイモや卵の美味しそうなこと……。いまここで、頁を開かなくてもひとつひとつが脳裏に焼き付いている。こうしてすべてを取り出せる。
半ば土に埋もれていた鍵を拾い上げた感触は、私の手にも残っている。蔦を払った扉の向こうに、しんと時の止まったような、その庭はあった。
庭の秘密を分かち合ったのち、その再生について問われ、「息(いぎ)してるんだ」と、朗らかなヨークシャー訛りでディッコンはメリーに言う。枯れたようにみえた灰色の枝でも、折ってみて内側が緑なら、また芽吹くことができる。ほんとうに枯れてしまっていたなら、中も灰色なのだ、と。その言葉は心にひときわ強く焼き付いた。輝く柔らかな芯が、見えるような気がした。
バーネットは、庭の再生と子供たちの再生を重ねて描き出している。だが、幼い日の私がその意図になんら気を留めず夢中になっていたことを差し引いても、「寓意」を見出すのが、私はあまり好きではなかった。物語においてそこに息づく枝は、この世から何らの意味など求められてはいない、在るがままのものなのだから、そのままを受け取りたかった。けれど……今読み返すなら、あの一文は帰る場所であるのかもしれないと、時々思う。枯死した姿かたちで打ち棄てられて、誰に目を留められなくても、内なるたましいがなおも生きていること。再び陽の光の中で、望む姿へ、梢を天へとのばしてゆけること。それが、きっと私の、希望になりえた。
メリーはいわゆる「改心」をしない。コリンの癇癪に癇癪で真っ向からぶつかり、その優しくなさゆえに、それまで取り繕わない感情を向けられたことのなかったコリンを救う。メリーは、正しさを都合よく提示されて「良い子」になったりしない。ミセルスウェイトで出会った女中のマーサが、庭師のベン爺さんが、そしてディッコンが、コリンが、……庭そのものが、そして庭をとおして触れる世界が、メリーの心の土壌を潤し、豊かにしていく。それまで興味を持たなかった他者への眼差しの、明るさ。メリーはメリーのまま、荒削りの魂を抱えて、世界への感覚をひとつひとつ、瑞々しくひろげていく。変わらないままで、変わっていく。私だけ置いていかれるようで、なんだか寂しかったけれど、彼女がそのようにして生きてゆけるということに、そのとき、ふっと心が安らいだ。こういう道も、あるのかと。
だからこそ……もはや突き詰めれば、どう在るかでもないのだと、思った。私は酷い子供だった(少なくともそのように自己規定してしまっていた)し、短気で衝動的で暴力的で、そのくせ臆病だった。身の内から溢れ来るそれが己を損ないうる・ひとを害しうるものであるという途方もなさの前に、5歳の私は立ち竦んでいた。このような素質をもって”在らしめられている”こと、そのものの理由のなさに刺されるようだった。けれど、その痛みを抱えて、自分が、変わったとしても変わらなかったとしても……どのように在ることになっても、この世は変わらず美しいと、また、感じたのだ。こういう世界だからこそ、生きてゆくことを愛し、喜ぶことができるのだと。それゆえにこそ、私はこの人生を憎むことはないだろう、生きてゆけるだろうと、心のずっとずっと根っこで、わかった。そうして、外に出たときの光と空と風とは一層まばゆくて、虫や草木の名をひとつひとつ祖母に訊き、図鑑で確かめては触れた。幼いその頃の記憶こそ、私にとって最も鮮やかな日々であったかもしれない。
東の空に、いつも変わることのない威厳をそなえた太陽がその姿を見せ、見守る者は思わず喜びの声をあげそうになりながらも、その心はふしぎな静けさに包まれます。この荘厳な日の出は、何千年も、何万年も、何億年ものあいだ、毎朝続いてきたのです。このような瞬間に出会ったとき、人はつかの間ですが、いつまでも生きられそうだと感じるのです。そして時には、ひとりぼっちで日没のころ森に立っているようなときにそれを感じることもあります。木々の枝の間から深みのある黄金色の光が漏れ、そのふしぎな光の中に立っていると、どんなに耳をすましてみても決して聞きとれない言葉が、くりかえしくりかえし何かを語りかけてくるように思われるのです。(p323~324)
その先、幾度も、幾度も、螺旋階段を上るのに似て、私はその所与ゆえに、形を変えた同じ問いに引き戻されてはぶつかり続けることとなる。小学生の頃は「にんじん」の主人公に、「日なたが丘の少女」のトルビョルンに、「車輪の下」のハンス・ギーベンラートに。長じて、これらの自意識は綯いあわされてより根深く強固になり、「山月記」を読むに至って私の傷として深く深く舞い戻ってきた。これもいずれ書くことになるだろう。生まれ持った”その素質”を、私は消すことができなかった。それは同時に私そのものでもあったから、共に生きていくまでだった。この自分で生まれたことを厭うたことは一度もなかった。けれど、在りたいように在れない哀しさと、手から零れ落ちていく無数の可能性への未練があり、けれどそれも当然のことという自嘲が、ともすれば足を掬おうとした。
それでも、なお。……そういう私だったから、再生と恢復の物語を、己のはじまりに必要としたのかもしれない。私はメリーの物語を選び、メリーの物語もまた私を選んだ。切迫と衝動を抱えながら、世界を愛して生きていきたかった私の手を取ってくれた。物語が指し示すその地図は、決して破滅へ至ることはなかった。
私は、物語を読むことによって、心の中に秘密の庭を持てると知った。その庭を守り育てることは、心を生かすことそのものだった。「秘密の花園」が手渡してくれた得難いひとつの鍵、長い長い読書という旅路の最初の一歩は、この世の惨さ醜さとの戦いでも、うまくはいかない己と戦うというものでも、不条理に振り回されるものでもなかった。この世の、溢れるような美しさと温もりと、その肯定だった。外への感受の器を慈しむことを忘れない限り、これからも己を失うことはない、と思い、今も思い続けていられるのは、そのおかげなのだ。