どんなに好きな本でも時間が経つと読了後の様々な感情は薄れていき、良かったという気持ちだけが残っていくのでやっぱり読了後の気持ちを残しておこうと思い、ここに記録しておく。
今回読んだWordslutという洋書は言語学者が文法や発音のパターンまで言語を解体してフェミニストの観点から説明している。非英語圏ネイティブとして英語の勉強にもなるが、言語が単に辞書の定義を超え、文化や生活に深く根ざしているんだなというのを改めて認識することができた。特に現在自然言語処理を大学の卒制で取り組んでいる身としては言語学は重要な内容であるし、異なる文化や社会的背景を持つ個人間の微妙なコミュニケーションの違いを機械が理解することは、依然として大きな課題であったりするのでとても勉強になった。また自分は今後の研究でAI Ethicsに取り組む予定であり、言語がどのようにジェンダー、文化、社会的な偏見と深く結びついているかを知ることでバイアスの認識やインクルーシブな設計にも役立つだろうなと思っている。
以下は特に興味深かった点
女性的な言葉が女性ではなく男性に対する屈辱に値する意味に変化している例としてsissyという言葉がある。sissyは弱い、なよなよした男性を指すがその対にあたるbuddyは相棒など一般的にポジティブな意味として根付いている。逆に男性的な用語で軽蔑的な言葉はほとんどなく、唯一の顕著な例としてdickがある。
2010年の調査によると、vocal fry(声帯を震わせてきしむ様な音で話す発声方法)を使用するアメリカ人女性は男性よりも約7%多かった。これはより権威のある声に聞こえるようにする方法になる可能性があるとし、職場でのプレゼン等で無意識のうちにvocal fryになっているのだとか。第二のSteve Jobsと呼ばれたElizabeth Holmes(後に詐欺として有罪となっている)もあえて低い声で話していたなと思い出した。またvocal fryは声帯が比較的緩い時に起こる振動状態であることから無関心さやリラックス、退屈している時に使うという指摘もある。例えば誰かの刺激を与えないと感じていることをさりげなく使う時等。
valley girlはよくカリフォルニア在住の10代女性が話しているイメージが強く、映画やドラマなどで見たことがある人も多いかと思う。そしてその話し方は言語的な嘲笑の対象となっている。その特徴としてuptalk(語尾を上げる)やlikeの多用がある。カナダの言語学者Alexandra D'Arcyによるとlikeには複数の異なる形があり、特に女性によって頻繁に使用されるものとして引用的なlike(I was like, 'I want to see Superwoman')と話し言葉のマーカーとしてのlike(Like, this suit isn't even new)の二つがある。これらの言葉を使うことを批判する人もいるが、研究によると、このような言葉を含まない話し方は機械的、または友好的でないと感じられることが示されている。
またトーンボイスの章では日本の言及もあり、ニューヨークタイムズ紙は「ヨーロッパの女性たちはもはやコルセットで体を整えることはなく、中国人も娘たちの足を縛ることで障害を与えることはなくなった。しかし、多くの日本の女性は、特にフォーマルな場、電話上、または顧客と対応する際に自然な声よりも高いピッチで話す」と記述していたとのこと。
などなど他にも興味深い内容が盛りだくさんでハイライトの嵐だった。彼女の新作"The Age of Magical Overthinking: Notes on Modern Irrationality"では現代の情報化時代において私たちの脳の対処メカニズムが過負荷になり私たちの非合理性が11倍になっていると論じていて私たちの脳内で横行する認知バイアスの数々を掘り下げていく内容になっており、こちらもとっても面白そうで既に楽しみである。(2024年4月発売予定)